私達が普段何気なく使ってしまう言葉の中に

普通、当然、常識

という言葉があります。

「普通そうしない?」

「母親なら子供を一番に考えるのが当然でしょ?」

「後輩が先輩に挨拶するのは常識」

などなど。

これのどこがおかしいの?と感じる方もいるかもしれません。

しかし、普通、当然、常識は人の数だけあるし、自分が普通、当然、常識だと信じていることが別の誰かの非常識である可能性は大いにあります。

以前の私は多少の考え方の違いがあっても、殺人や強盗など人類共通の共有しなければならない常識というものはあると思っていました。

しかし、自分の子供が殺されそうになったら子供を守るために相手を殺してしまうかもしれないし、例えば戦時下で生死がかかっていたら犯罪に手を染めてしまうかもしれません。

これは極論ですが、この世界には「絶対に正しいとか間違っている」というような人を断罪するような概念というものは無いのではないかと思うのです。

それでもやはりやったら罪に問われることは当然あります。

やったことの責任は取らなくてはいけません。

人間社会にはやったら罪に問われる基準がありますから、その基準を超えたら罰せられるのは当然です。

しかし、自分の考えだけが正しくて相手を断罪する考え方は争いの火種になります。

ご近所のトラブルから国際紛争まで、事の大小に関わらず揉め事というのは自分の常識を相手に強要する所から始まります。

我が家でも母と口論になるときは

母が「普通はこうでしょ‼️」というフレーズが多く、その度に私が

「普通って何?何を基準にしてるの?」と言うのですが、

昭和の価値観バリバリの母に理解してもらうのは大変です。

何しろ昭和時代に大切なのは

「普通と常識」

母は昭和の女性にしては珍しく、自分の道を切り拓いて生きてきた人なのですが、その母でさえ普通と常識の呪縛からなかなか抜け出せないのですから、多くの人が「それが常識でしょ!」と主張するのも無理がないのかなと思います。

昔は今ほど国際化していないので「オラが村の常識」が全てで社会が回っていましたが、国際化が進み世界中のありとあらゆる考え方が飛び交う現代社会で自分の普通、当然、常識を基準に相手が自分の思うような反応をしない度に「なんで、そんなことするの?普通こうでしょ!」と頭から相手を断罪する姿勢でいたら、トラブルが絶えません。

相手の言動が気に入らなかったとしても、相手には相手の考え方があります。

「それはおかしい!」と斬って捨てるのではなく、なぜそうしたのかを聞いてみたり、自分の考えを伝えて考えを聞いてみたり、話し合う事で分かり合おうとする姿勢は大切です。

どうしても自分とは考え方が違うなと感じて、それ以上話し合っても分かり合うのが難しかったら距離を置くことをおすすめします。

職場やご近所など物理的な距離を置くのが難しければ、精神的な距離を置くのです。

相手を変えようとしない。

自分の常識を押し付けない。

これを言うと、

「私は正しいのになんで私が折れなきゃいけないの‼️」と言う方がいます。

「私が正しい」と思っている段階でもう既に背中にガソリンタンクを背負って炎上準備完了です😅

誰が正しいのでも間違っているのでもありません。

そこにはただ違う考え方があるだけです。

ああ、違うんだな。

それを認めるだけで地雷を踏まず炎上は回避できます。