次の請願はアイヌに関する問題。
213国会 第1033請願
【アイヌ政策見直しに関する請願】
北海道のアイヌ生活実態調査によると、アイヌ民族は二〇一七年、約一万三千人に減少している。また、現在アイヌ語の話者もほとんどいない。これは、政府のアイヌ政策がアイヌ民族の貧困問題や同化強制、アイヌヘイトなどを無視し「ウポポイ」の運営のみに関心を集中している結果である。アイヌ民族の誇りが尊重される社会は実現されておらず、政策の見直しを求める。
ついては、次記事項を措置されたい。
一 アイヌ民族を「先住民族の権利に関する国連宣言」に規定された属性を持つ先住民族として認めること。
二 推進法第四条のアイヌ差別禁止条項が実効性を持つために、国及び公共団体の責務としてアイヌ差別撤廃を明記、教育及び広報、相談体制、アイヌ差別実態調査、罰則規定を入れた法改正を行うこと。
三 アイヌ民族に対する強制移住やアイヌ民族が狩猟や漁労、採集に使用していた土地の所有権の推移、アイヌ民族に下付した土地の所有権の推移等、アイヌ民族の土地所有権の推移、また教育問題を含むアイヌ民族差別の歴史的総合的な実態調査を行い、アイヌ政策の見直しを行うこと。
四 現行の交付金制度について、政府及び市町村とアイヌ民族各団体との協議機関を設置して、アイヌの自発的意思が尊重される制度とすること。また、その一部をアイヌ民族の自立化資金とすること。
五 アイヌ民族の宗教観、世界観に基づいて国有林野の利活用や鮭の採捕事業などをアイヌ民族の管理下に置くこと。アイヌの主食であった鮭漁に関しては、少なくとも儀式、自家食、文化伝承、そして将来的な商業利用も視野に入れた漁業権を保障すること。
六 初等、中等教育において、アイヌ語、アイヌ民族(歴史・文化)、アイヌ民族の人権に関する学習を教育課程に位置づけ、学習指導要領における外国語又は国語においてアイヌ語を設けること。高校では社会科にアイヌ史を設け、所定の単位を履修したものにはアイヌ語、アイヌ史の教員免許状を授与すること。国は高等教育機関にアイヌ民族に関わる専門的な研究、教授のための研究科、学部等の設置を計画し、保護者、地域から要求がある場合にはアイヌの誇りを体感、体得できる学校を設立すること。
七 アイヌ遺骨はアイヌの先祖であり民族の誇りの源泉である。国及び大学、博物館、研究機関等は、アイヌ遺骨盗掘の事実を認め、アイヌ民族に謝罪すること。あわせて、アイヌ民族が関与する遺骨収集の歴史的経過を明らかにする実態調査を行い、留置してきた遺骨及び副葬品等を目録化するとともに関連資料を一般公開すること。また、国の責任でアイヌ遺骨の全てを出土地に返還し、再埋葬すること。
八 道内外のアイヌ民族の間に福祉対策などの差別を是正すること。
九 国連女性差別撤廃委員会の勧告を完全履行すること。先住民族アイヌ女性に対する複合差別撤廃に向けて、政治的・公的活動への平等な参画の権利保障、国及び地方公共団体による教育、雇用への支援と女性に対する暴力、ヘイトスピーチなどを禁止処罰する法の制定を行うこと。
十 包括的差別禁止法の制定、パリ原則(一九九三年国連総会決議)に即した国内人権機関の設置を行うこと。
●受理件数 22件
●署名者通数 43,974名
●付託委員会 内閣委員会
●結果 審査未了
この紹介議員には、北海道選出としては、
石川香織・逢坂誠二・おおつき紅葉・道下大樹・松木謙公の5議員がいて、
東北選出では福島県第四区の小熊慎司議員のみ。
一昨日は、自見英子北方担当大臣が、札幌市でアイヌ推進会議を開いた。
アイヌ施策法では、五年を経過後に所要の措置を講ずると規定されており、自民党の杉田水脈議員が差別的投稿をしたとして、議論になっており、「所要の措置」が必要になったとのこと。
杉田氏の言うように、差別を受けてきたある部落などが、国や自治体に対してこれまでの不遇をなんとか賠償するように認めさせたり、あるいはその利権に群がったりということについては、実体としてはあるかもしれないが、一方で本当に不遇の人生を歩み、杉田氏のような発言で傷つけられる人もいるだろう。
ただ、一つ言えることは、どちらもその「アイヌ問題」を軸にして戦っているということである。この戦いはそう簡単には終わらないと思う。
杉田氏は、アイヌに係わる者たちを「公金チューチュー」として表現したが、これは彼女が嫌いだと思っていることに対して深い関心を寄せていることから、いつまでもアイヌに対する発言をやめないのであると思う。
真に、国家の利益を考えるのならば、嫌いなものに対して執着してはならない。執着すればするほど、その現象がさらに彼女にとっての悪化を生むからである。
現に、杉田氏の発言によってこの法律をさらに強化しようという動きが出ている。
これはあらゆる政治活動について言えることだが、「反〇〇」の政治行動をするということは、「〇〇」をむしろかえって強くさせるのである。
マザーテレサも言っていた。「平和運動」には参加するが「反戦運動」には参加しないと。つまりこれは、アイヌ利権を批判する人たちは、結局は彼らの嫌いなアイヌ利権に振り回されているということに他ならない。
自称保守の人々がリベラルに対して「多様性を認めようとリベラル派は言うが、彼らは自分の意見だけを押し通そうとする」という批判がある。それと同時にその自称保守の人々は、日本の伝統たる「大和」や「和を以て貴しとなす」、あるいは日本人としての礼節を身に着けていない人が多い。ようは両派とも対立しているようにみえるが、実は全く同じ穴の狢なのである。
これはなぜ起きるかといえば、「反〇〇」のことばかりするので、結局は「〇〇」か好きと同じだということだ。