宇佐美登元衆議院議員が平沼グループへ | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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旧民主党は、さきがけ離党者を中心に作られ、それに社民党の若手や海江田・山花グループ、新進からは鳩山邦夫衆議院議員が参加する形で始まり、当時のさきがけ東京支部は、菅直人厚生大臣が中心となっていたためにほぼまるごと民主党に移行した。そんな中、さきがけに残ったのは宇佐美登衆議院議員だった。菅氏が厚生大臣になってからは東京の代表は宇佐美登氏に代わっていた。当時、排除の論理として、鳩山由紀夫代表幹事がさきがけの武村正義代表と社民党の村山富市党首を除外。

このため、武村秘書だった宇佐美氏は、その縛りにより民主党参加を見合わせたという。

この96年総選挙で東京3区で落選。2000年には民主党に入り4区へ。大田区の微妙な位置を地元としているので、もともとさきがけ時代から3区にするか4区にするか結構長いこと悩んでいた。

それで2003年の総選挙で比例で拾われなんとか復活するが、2005年の郵政解散で再び議席を失う。その後、大田区長選挙に立候補するがこれも落選。民主党では衆議院の支部長が首長選挙に出てしまうと戻ってこれないので今回は無所属で立候補するようであるが、なんと平沼グループに入るらしい。全く何も関係ないはずなのだが、議席欲しさから近づいただけだろう。平沼グループは掃きだめである。ようするに自民でも民主でも立候補できない方々が集まっているだけであり、所詮第三極というのは、理念が既製政党の二番煎じである限り三流である。


ちなみに彼は議員のとき新婚旅行で伊豆諸島に行くが、そこが自分の選挙区内だったとは知らなかったらしい。