衆議院東京15区補欠選挙における乙武洋匡氏の出馬表明の意見の中で、「政治で最も大切なことは政策であるべきだ。私が提示した政策を見て、うちの政党でぜひ推薦したいという思いを抱いていただけるなら、誠心誠意お話をさせていただいたい」という、決まりきった発言があるのだが、これについて考えてみたい。
乙武洋匡氏、自民の裏金事件に「強い憤り」「現時点で推薦依頼していない」 衆院
政治にとってどんな政策をやるのかということは大事な話だ。異論はない。
ただ、この言葉をまず発言する人というのは疑わしい。
本当に何かの政策を実現したのであるならば、まず「政策が大事」とは言わず、己の信念に基づいた理念なり政策をまず述べるだろう。
昨今では、安倍派五人衆が「政治とカネ」で問題となっているが、彼らが安倍晋三的なイデオロギーや理念・政策を持っているようには見えないのである。安倍シンパは、安倍氏の子分であるから当然に「戦後レジームからの脱却」やら安全保障の充実などを期待している意見を聞くのだが、彼らが本当に心底そういう考えがあるのかどうか。もしかすると、小泉人気の郵政民営化促進の流れをひいていたり、安倍人気に乗じて清和会にいただけなのではないかと思われるところが節々に見られる。たとえば山本一太群馬県知事などは参議院議員時代に確かに安倍応援団であって、イデオロギー的にも安倍思考だったと思う。だが、今回の政倫審で騒がれた清和会幹部の人々にはそういう雰囲気を感じない。派閥は政策集団だと言っているが、清和会の中で安倍的なものを持っている人というのはいったい何人いたのだろう。稲田朋美元政調会長にいたってはLGBTを推進したり、夫婦別姓を推進したり、方向性が違っていっている。
だから乙武氏の言っていることは、なんか眉唾ものなのである。小池百合子都知事自身がその手の、いわば「理念あるよ、政策あるよ」の詐欺師に見えるからである。ようは、政権をとれるとか、選挙で勝てるならば、政策はどうしたらいいかというと、勝てるものであればなんでもいいと思っているのではないか。立憲民主党の小沢一郎氏も政権交代ができれば政策はなんでもいいと思っている節がある。右から突然左に転換したりする。つまりは、政治目的は政策ではなく、自身らの議席獲得が目的であるから「政策が大事」をダシにして発言しているという印象を受けるのである。