日本を保守二大政党制にするには | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ

岸田内閣「不支持率8割」でよみがえる、小池百合子「大敗北」の記憶 https://gendai.media/articles/-/124834

 

希望の党を作った小池百合子都知事は、排除の論理を使って、安全保障について左派的な思考を持つ人々を除外しようとした。

 

もしも自民党に対峙するもう一極の政党も安全保障に対して積極的な主張をするならば、それで二大政党制が成り立つという論理なのだろう。 

 

つまり二大政党は両政党ともタカ派路線になることを望んでいるようである。このことについて異論はない。今の日本での自衛隊の在り方は多くの問題を抱えており、自衛のために発動したとしても自衛官が刑法犯に問われる状況にあるし、他にも諸々ある。

 

 ただ一方で、この記事の中ではドイツの例を紹介している。 ドイツ社会民主党(SPD)は、かつての日本社会党と同じように、親ソの労働者階級のための政党だったが、それらとは決別し、1960年にNATOに協力するようになった。

 

日本ではこれと同じことが起きていないから問題だとしている。ただし、今の立憲民主党は日本社会党ほど軍事的に消極的ではない。憲法9条を解釈改憲して自衛隊を認めている政治家がほとんどであり、必ずしも昔の社会党と全く同じではないが、かつての社会党を思わせるような安全保障政策を主張するような者もあって、これに国民民主党と一体だった民主党の頃を考えれば党全体の方針としては極めて曖昧である。 この記事では、ドイツの場合には日本と違ってなぜ変わっていったかを考察している。

 

 SPDは自由民主党(FDP)と連立政権を組むことにより、福祉国家を充実させるためには市場経済の発展が大事だということを学んだからだという。 それは当然だ。社会主義国家では福祉は充実せず、軍事ばかりにお金を注ぎ込み、貧困を生んだ。それに比べて資本主義の国家は経済成長をすることによって余剰を生み出し、経済的に稼ぐ力がない貧困者・児童・障害者・高齢者を経済的に救済することができた。 

 

だから社会民主党は自由民主党から学び、安全保障も含めて路線を変えていけたのである。逆に、ドイツ自由民主党の側は福祉をカットしてしまうと、普通選挙制が行われている現代においては政権基盤を揺るがせてしまうため、過剰な市場経済の促進に歯止めをかけるようになったのである。 

 

ここから日本の有権者が学ぶべきことは、自由主義政党は社会主義の考えを尊重し、社会主義政党は自由主義の考えを尊重することによって、お互いが満足できるシステムがそこにあるということだ。しかし日本の現状は、お互いが経済政策でも安全保障でも、永遠の平行線をたどって議論し、なんの成果も得ずにお互いをただ分断し、ワガママ言いたい放題で政権交代しろ!とただ叫ぶだけというクソガキ政治である。 

 

55年体制に比べれば、歩み寄っているような気がしないでもないが、よくよく考察すると、自民党よりもさらに市場原理主義的な維新の会が生まれ、民主党からはかつての社会党よりも過激なれいわ新選組が生まれ、野党が乱立している。みなが好き勝手な主張ばかりしてまとまろうとはしない。その結果、自民党の1強を生み出したのではないか。

 

 この記事では、希望の党の排除の論理がもしも成功していたならばよかったと書いてあるが、ドイツの例を出すのならばむしろ逆なのではないか。 排除の論理の結果、生まれたのは旧立憲民主党であり、希望の党は自民党への政権交代どころかこの立憲にも負けた。で、今の状態は希望の党の後身である国民民主党よりも、立憲民主のほうが大きい。

 

しかもあの頃希望の党に駆け込んだ輩が今やなぜかそれに敵対した立憲民主にいる。党首の泉健太代表からしてそれだ。ようは、安全保障政策に消極的なグループに積極的なグループが飲み込まれたのである。 そのことをよくよく考える必要がある。 今の野党乱立の状況は、すべての野党が他の野党に対して常に排除の論理で動いている結果、生じていることである。

 

 希望の党のような政党が出てきても、それは野党第一党にもなりえないし、政権交代にもならない。特に近年は自民党が安全保障に積極的であるため、その対極が同じような政党にならないのである。これはどれだけ自民党が腐敗していてもそうはならない。

 

 では自民党という与党が第一党にあり、野党第一党が安全保障に積極的であり、野党第二党が安全保障に消極的だった時代はあるかというと、一度だけあった。94年12月に新進党が結党して98年末に回答するまでの4年間である。

 

ただ、これにも疑問符が付く。 なぜならば新進党のうち、市場経済優先、自己責任の経済、安全保障に積極的というのは、当時の小沢一郎イズムだけであり、公明党は護憲平和路線である。公明党はただ小沢一郎に従っていただけであり、彼らの平和思想というのはその頃全く押し殺されていた。

 

 また小沢一郎代表幹事が羽田孜党首と作った新生党から新進党に流れたグループは、安全保障政策について明確に意識していたのは西村慎吾氏くらいであり、なおかつ彼は民社党であった。日本新党においてもハト派のほうが多くいた。したがって新進党において安全保障に積極的なイデオロギーを持っていた政治家というのはほとんどいない。党としてやっているからただ従っていたという傾向は強い。

 

 それが明確に表れたのは新進党が解党してからであって、小沢一郎自由党に流れ込んだのは、新生党のうちの小沢グループの他に公明党や民社党だったのに、新党平和や新党友愛には行かず、自由党に入った政治家が数名いた。彼らは当時の小沢一郎イズムにかつてあったタカ派的政治思想に共鳴していたものもあった。それだけが実質的な「安全保障に積極的」という政治家だっただろう。