嫌いなものたくさん【SS付き電子限定版】【電子書籍】[ 村上左知 ]
嫌いなものを説明するためには、その嫌いな情報を必要とし、その嫌いな情報に詳しくなる。
結果的に彼が嫌いな情報というのは、好き好んでその嫌いな情報のところに行くので、結局は「嫌いな情報が実は好き」ということになる。
そして批判者側はどんどん嫌いな情報を流布していくことによって、その嫌いなことを遂行しようとしている権力者側に協力していることになるのだ。
また、権力者側の支持者は批判者側を嫌うことばかり言っていれば、やはりこれまた嫌いな情報を好き好んでいるというわけである。
嫌いな情報を流布している人は、権力者のやろうとしていることをどんどんばら撒き、嫌いな情報を頻繁に発信することは、彼が嫌いな情報をさらに嫌う人間も増やしていくことになる。
なぜならば、「嫌い」を発信すれば「嫌い」という共鳴を呼ぶからだ。
たとえば、「共謀罪を嫌い」を発信すれば、共謀罪を「嫌い」共鳴も呼ぶかわりに、「共謀罪を嫌い」を嫌いという人の共鳴も呼ぶ。
嫌いということばかりをメインに発信していれば、嫌い自体に共鳴発信力を持たせることになる。
これは量子力学とも合致する。人は認識しなければ、そのものは存在しないということである。
嫌いなものを喧伝することは、その嫌いなものをどんどん生かしているということであり、その嫌いなものをぶっ壊すためのことが好きということになる。
すなわち彼らは自らに軸をもっておらず、自らの外側にある嫌いなものに対して振り回されることを好んでいるのである。