松尾藩 | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ

平和党千葉県総支部連合会・「あさっての内閣」総務大臣 大坂佳巨のブログ-090225_1444~03001.jpg
昨日、山武市松尾町にかつて松尾藩というのがあるということを知った。松尾町には私の母がバブル時代に購入した土地がある。だからそこに城でも建てようかとふと思ったら、松尾藩があったという。

しかし、松尾藩なんてのは地元の人々から話を全く聞いたことがない。よく調べてみたら、松尾藩は柴山藩としてスタートし、しかも明治元年に始まり、明治四年に終わるという、つまり江戸時代に存在していなかった藩である。初代にして末代の藩主だった太田資美は、元は掛川藩だったが、徳川16代の徳川家達が掛川に逃れたため、太田家が現在の千葉県芝山町まで来て立藩したとか。

しかも、お寺を間借りして藩を作ったという、実に聞いたことのないようなことをしている。

そして松尾に築城しようとするのだが、わずか四年で版籍奉還がなされたため、築城途中で藩は廃止になる。


ということを知ったので、朝8時に仕事を終えて、公平幼稚園でアルバム編集委員会の会議が終わるなり、即、車を走らせた。松尾藩再構築のため、私は母の土地へ向かった。しかし田畑だらけで道がわからなくなったので、とりあえず松尾駅近くにある城跡を探す。

普通、城跡には地元の教育委員会が何らかの標示を建てると思うがどうもそういうものはない。東金城ならばそういうものがある。そして東金城は高台にあり、現在の東金高校であるから、松尾の高台である松尾中学校へ行ってみた。

中学校を壊して、城を建てようと思ったが、まだ新しい建物のようだったので勘弁しておいた。

どうもここではないような気がする。そこで松尾藩以前の柴山藩時代のお寺。これがどこにあるのか調べてみたところ、芝山町の龍角寺というところらしい。しかし芝山町の中にはそういう名前の寺はない。

しかし、松尾町の芝山町寄りにその名前の寺があったので行ってみたが、教育委員会の掲示している説明を読んだが、何も松尾藩について触れられていない。

松尾藩は5万石あったから、この辺りでは大きいほうだと思うが無視されている存在のようだ。

これより先に、山武市歴史民俗資料館にも行ってみたが、伊藤左千夫のことばかりで、何らの手がかりも無しだった。

そんなわけで、歴史の繋がりを無視し、勝手に松尾藩を作ることを今考え中である。