隊長は話が長い、しかもつまらない、
と言われてしまえばそこまでだが、
『サマリア』のレビューに実は
今回の内容を書きたかったのだ。
しかし、前回も長くなってしまったので、
このように今回、もう一本追加させてもらいます。
これは、イエス様の譬え話の一つだが、
『ルカによる福音書』だけに記された話で、
是非、直接読んでみて下さい(ルカ10.30~37)。
この話のテーマとは、
“隣人”とは誰か? ということですね。
これについて、隊長の尊敬する神学者である
八木誠一氏の名著『イエスと現代』を抜粋しよう。
(八木氏は、食口ではないです)
―― イエスのいう「隣人愛」とは、
同じ場所で同じ暮らしをしている、
利害の一致した人間同士の事柄ではない。
所属や思想や信条を同じくする者同士の
愛でもない。
隣人愛とは、
対立する集団に属する見知らぬ人同士の
愛のことなのである。
「隣人」であることから最も遠い
人間同士の愛なのである。
これこそ「エゴイズム」を超える愛なのだ。
(中略) いったいこのような愛を
可能にしたものは何なのか。
それは個人を超えてそれらを結びつける超越者、
すなわち神であった。
しかも隣人を愛しなさいという
神の誡めに従ったのは、
聖職にある祭司やレビ人ではなく、
異端視されていたサマリア人だったのである。
正統の人間が神に従うのではなく
異端が神の意志に叛くのでもない。
神への従順は正統と異端という区別によらない。
愛を行う者が神に従うのである。
もちろん劇中の主人公の少女たちが
援助交際によって、 中年のおじさんたちに
一時の幸せを提供していた(ように見える)のが
隣人愛ではまったくない。
果たして、
私たちの身の周りで“サマリア”、
“サマリア人”とは誰であろう?
それと同時に、
私たちが“隣人愛”について、
認識を新たにする必要もなかろうか?
無論、その隣人愛が
成されなければならないのだが…。
隊長の敬愛する文鮮明先生の
み言集である『み旨と世界』
(祝福家庭と理想天国(Ⅱ)の
「神の祖国」という説教よりみ言を紹介しよう。
正統的なクリスチャンとは、
怨讐を愛するという原則を実践する人々です。
それを実践する人々が神に近いのです。
そうすることによって、真なる神様の願う本来の
個人と家庭と国家と世界が現れるのです。
(中略)世界のすべてのクリスチャンに
「統一教会とは何か」と聞いてごらんなさい。
彼らは、「あなた方は異端だ」と言うでしょう。
(中略)重要なことは、
キリスト教の真の伝統を受け継ぐということです。
私たち統一教会が、
この基本的教えを実践している限り、
私たちこそ正統派の中の正統派です。
我住!
文先生の中には正統も異端も、聖も俗も、
そのような区別はないのですが、
私たちのような人間がそう騒ぎ立てるのです。
私たちがたとえ、周囲から(隊長も内部から?)
異端視されようとそのことが問題ではなく、
いかに私たちがサマリア人、善き隣人となり、
真の意味で隣人愛を実践できるか
ということが問題なのですね。
二本続けて読んで下さった方、
本当に有難うございます。
異端のしがない隊長のブログを
読んで下さっているだけで、
あなた様は善き隣人です。
今後ともご愛顧を宜しくお願いします。
隣人愛の実践はまずワンクリックから?