サマリア | しがない隊長の日々是好日

しがない隊長の日々是好日

統一教会員でもある隊長の詩的な日記?

 隊長の今週の一本は、『サマリア』。


 図書館でCutを立ち読みし、『アウトレイジ』に関心を寄せながら、

 遅ればせながら『ソナチネ』を見ようと思った隊長だったが、

 借りられていたので、以前から気になっていた、いや

 見るのをためらっていた『サマリア』を見ることにした。


 以前にも紹介した『春夏秋冬そして春』の監督でもある

 キム・ギドン監督の2004年上映の作品だ。


 

 …改めて、キム・ギドン監督、恐るべし。


 韓国でも“異端”と呼ばれていたらしいが、

 何をもって人は、“異端”と呼ぶのか?


 隊長もまだ二本しか見ていないが、

 他の何本かもパッケージからその異質さは伝わってくる。


 まぁ見て頂くと、

 一般的な作品からすれば、“異端”であることの意味が分かるだろう。


 映画とは、受け手解釈受容度が問われてくるものだと

 隊長は考える。


 受け入れられない人間にとって、それは“異端”となる。


 この映画も隊長は、あまり食口には勧めないが、

 そんな勧められない映画ばかりを見ている隊長も

 “異端”ということになるのだ。



 異端で結構、コケコッコー。


 ただ目の前の現象に流されるのではなく、

 本質を掴むこと。


 映像や見た目の派手さ、異様さだけに目を奪われてはいけない。



 『サマリヤ』を通して、隊長は何度も神様を感じた。

 何度となく神様の心情に触れたのだ。

 ある意味、泣ける映画だ。


 しかし、映画のラストのメッセージ(役者たちの発する言葉ではない)

 に対して、隊長の魂の声が聴こえる。


 “は人間を創造され、そのまま、放置されたままではない!

 人間が一人、もがき苦しむ世界が本来の世界ではない!”


 “を揺さ振る映画”を隊長は求めている。


 ハッピーエンド救いのない映画でも構わない。

 それは、映画だから。

 しかも、私たちが生きる紛れもない現実に

 必ずしもハッピーエンド救いがある訳ではない。

 そのような中を人間は、まさにもがき苦しみながら生きている。


 その中でも生きろ!というのがこの世の理屈だが、

 あまりにも無責任だ。


 私たちには、ハッピーエンドが、救いが必要なのだ。

 それらを隊長は信じる。

 そのような世界の実現に生きる、生きたいと思う…

 やはり、ただ口だけのしがない隊長だ。



 『サマリヤ』のような作品を見ると思うのだ…

 “これだから映画は止められない…”と。


 今日はソナチネではなく、サマリヤ

 

 良い作品を見るとまた思うのだ…

 “この作品を見るべくして見た”と。


 星の数ほどある映画の中で、自分が見れる映画もわずかなもの…

 どうせ映画を見るのなら、人生のため、のために見たいというのが

 隊長の映画に対する姿勢だ。


 最後に大変唐突ですが、一言コメントを加えるのなら、

 文先生の説かれる絶対性”は真理です。


 あまり作品のレビューになっていませんが、

 これが隊長流レビューということで、

 同情ワンクリックお願いします。


 にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ にほんブログ村