好奇心、挑戦。

(株)ベンチャーリパブリック 取締役副社長 柴田健一
略歴
1995年東京外国語大学スペイン語学科を卒業後、日本生命にて外国株式への投資関連業務を3年間行う。日本生命を退社後、ハーバード大学経営大学院に進学し、2000年に経営学修士(M.B.A.)を取得。その後ベンチャー企業に投資する投資会社に勤務しながら、起業の準備をし、2001年に(株)ベンチャーリパブリックを設立し、取締役副社長に就任。インターネット上で各種比較サイトを運営。2008年に大阪証券取引所ヘラクレス(その後JASDAQに統合)に上場。また、東京外語会の中に「平成の会」を作り、若手卒業生による同窓会活動の活性化に力を入れている。
卒業生インタビュー企画の第一回。現在、ベンチャー企業の役員としてお仕事をしている柴田健一氏(スペイン語1995年卒)に、インタビューをしました。外語大卒業後、大手企業からMBA留学、そして起業というキャリアをお持ちの柴田氏ですが、その行動力のエンジンは何なのでしょうか。学生時代の様子から現在まで、そして今後について、お話を伺いました。
……奇心に満ちた学生時代……
◦外語大に入学したきっかけを教えてください。
高校時代にアメリカに留学したのですが、その時にスペイン語を勉強したのがきっかけです。英語以外の外国語の発想がなかったのですが、スペイン語に触れることで、外国語全般に興味を持ち、大学では言語をやりたいと思うようになりました。
◦大学時代の思い出を教えてください。
当時はキャンパンスが西ヶ原にあり、小さなコミュニティーという感じでとても快適な学生生活でした。大学に行くと誰か知り合いが必ず中庭にいて、一緒にお酒を飲むとか、そんな飲み会からまた知り合いの輪が広がっていったように思います。
クラブは水泳部に入っていたのですが、それほど真面目に取り組んでいた訳ではなく、語学の勉強、経済学のゼミでの勉強、それから
時間のある限り、自分で様々な分野の読書をしたくらいですかね。
◦大学時代に学んで役に立っていることはありますか?
直接役に立っているものというのはないですが、間接的には凄く役に立っていると思います。
スペイン語、経済学を始め、その他の科目でもそれなりに一所懸命勉強したような気がします。レポートを書くにも自分なりに工夫をしたりとか。成績が目的ではなかったのですが、大学の勉強は好奇心を満たしてくれるので楽しかったですね。
そういう勉強を通じて、幅広い知識を得たり、論理的思考能力を身に着けたり、正確にテクストを読み、解釈するという社会人としても必要な基本的な能力が培われたと思います。
……若さは、武器だ。……
外語大を卒業してからの経歴を教えてください
大学を卒業後、日本生命に入りました。日本生命では3年間外国株式投資に関連する業務を行っていましたが、その後会社を辞めて経営学の修士(M.B.A.)を取りに、ハーバードビジネススクールに留学しました。その後、短期間ベンチャーキャピタルで仕事をした後、2000年に現在の会社を知人と立ち上げて、以後、インターネット業界で仕事をしています。
◦最初に入った会社を3年で辞められたのはどういう背景があったのですか?
仕事自体にそれほど不満があった分けではないのですが、「どこでも通用するプロフェッショナルになりたい」と思っていたので、それはこのままこの会社で仕事を続けていても無理だろうなと思ったのが理由です。もう少し厳しい世界で色々と経験してみたかったので、辞めました。
◦その後留学されていますが、留学は今の仕事に役立っていますか?
直接今の仕事に役立っているというものは少ないと思います。
私の行ったビジネススクールは、ケーススタディで有名な学校で、ケースと呼ばれるビジネスの状況が描かれた冊子を読み、それを基にクラスでディスカッションするというスタイルでした。
2年間で、何百ものケースを読み、議論したことで経営者の疑似体験ができ、それが今の仕事に間接的にかなり役立っていると思います。
大企業の一社員で、経営する感覚なんて全くなかった自分が、この二年間で経営するということをかなり意識させられましたね。そういう意味でこの二年間がなかったら自分で会社を作ろうなんて思わなかったでしょうね。
◦起業されたきっかけは?
元々会社を興そうとか、IT系に興味があったわけではありません。
ビジネススクールに留学していた時期にちょうどアメリカでインターネットビジネスが流行り出していたところで、その波に乗って(笑)、金融業界から方向転換しました。
起業にはリスクはありますが、まだ若かったので、金銭的なリスクを除けば、キャリア的なリスクはないだろうと考えたので、迷いはなかったです。
つまり、最悪の場合、数年で会社を潰したとしても、若い時に起業して、経営した経験はその後活きるだろうと考えました。
◦起業した後は順調でしたか?
いえいえ、波瀾万丈です(笑)。
3年程度の社会人経験しかなく、何がなんだか分からないまま会社を作りましたので、すべてが手さぐり状態です。はじめの間は大学のサークルのようなノリでしたね。
不思議なもので、はじめはドタバタしていましたが、徐々にそういう状況にも慣れ、また徐々に会社らしくなってきて、社員も増え、自分なりのマネジメントスタイルというものも考えながら、10年以上経過しました。大企業に勤めていた時とは随分と働き方が違うように思います。
大した考えもなく、甘い考えで起業したのですが、それはそれでよかったと思います。やりながら、試行錯誤して、色々学び、身に着けていきました。
逆にあまり考えすぎると起業というのはできないかもしれませんね。
2008年には株式公開も果たし、上場企業の会社を経営するという経験もできました。
……ひとつの事に縛られない。……
◦柴田さんの将来の夢を教えてください。
具体的な事ではありませんが、色々な事を色々な役回りで同時並行にしていたいと思います。仕事、プライベート問わず。今は会社を経営しながら、NPO法人の理事長をやったり、大学で教えたり、色々なことに関わっていますが、それをさらに広げていきたいですね。飽きっぽいので、一つのことに邁進するより、同時に色々とやっている方が肌に合っているようです。
◦最後に、学生に向けてなにかメッセージをお願いします。
私は社会に出て、仕事を経験する中で、学生時代に思い描いていたキャリアとは違う方向に、やりたいことが変わってきました。学生時代は将来に向けての訓練の時間だと思います。勉強、クラブ活動、アルバイトなど、どんなことでも苦労しながらチャレンジし、懸命に取り組む限りは社会に出た時の力の基礎を作ってくれると思います。学生時代にやったことが直接社会にでて役に立たなくとも、基礎力があれば、やりたいことが変化しても対応できるものだと思います。学生時代に、将来役に立つかどうかというあまりに近視眼的な発想で考えず、興味を持ったことに一所懸命に取り組んでもらいたいですね。

インタビュア:井口秀太(ペルシア語専攻4年)
略歴
1990年生まれ。2008年東京外国語大学ペルシア語専攻に入学。幼少時代から続けるサッカーに加え、ストリートダンス、イラストレーション、バイク等、大学生活では関心を広く趣味に打ち込んできた。2012年に卒業後は、株式会社ケン・コーポレーションに入社予定。
記事掲載日;2011/9/21

(株)ベンチャーリパブリック 取締役副社長 柴田健一
略歴
1995年東京外国語大学スペイン語学科を卒業後、日本生命にて外国株式への投資関連業務を3年間行う。日本生命を退社後、ハーバード大学経営大学院に進学し、2000年に経営学修士(M.B.A.)を取得。その後ベンチャー企業に投資する投資会社に勤務しながら、起業の準備をし、2001年に(株)ベンチャーリパブリックを設立し、取締役副社長に就任。インターネット上で各種比較サイトを運営。2008年に大阪証券取引所ヘラクレス(その後JASDAQに統合)に上場。また、東京外語会の中に「平成の会」を作り、若手卒業生による同窓会活動の活性化に力を入れている。
卒業生インタビュー企画の第一回。現在、ベンチャー企業の役員としてお仕事をしている柴田健一氏(スペイン語1995年卒)に、インタビューをしました。外語大卒業後、大手企業からMBA留学、そして起業というキャリアをお持ちの柴田氏ですが、その行動力のエンジンは何なのでしょうか。学生時代の様子から現在まで、そして今後について、お話を伺いました。
……奇心に満ちた学生時代……
◦外語大に入学したきっかけを教えてください。
高校時代にアメリカに留学したのですが、その時にスペイン語を勉強したのがきっかけです。英語以外の外国語の発想がなかったのですが、スペイン語に触れることで、外国語全般に興味を持ち、大学では言語をやりたいと思うようになりました。
◦大学時代の思い出を教えてください。
当時はキャンパンスが西ヶ原にあり、小さなコミュニティーという感じでとても快適な学生生活でした。大学に行くと誰か知り合いが必ず中庭にいて、一緒にお酒を飲むとか、そんな飲み会からまた知り合いの輪が広がっていったように思います。
クラブは水泳部に入っていたのですが、それほど真面目に取り組んでいた訳ではなく、語学の勉強、経済学のゼミでの勉強、それから
時間のある限り、自分で様々な分野の読書をしたくらいですかね。
◦大学時代に学んで役に立っていることはありますか?
直接役に立っているものというのはないですが、間接的には凄く役に立っていると思います。
スペイン語、経済学を始め、その他の科目でもそれなりに一所懸命勉強したような気がします。レポートを書くにも自分なりに工夫をしたりとか。成績が目的ではなかったのですが、大学の勉強は好奇心を満たしてくれるので楽しかったですね。
そういう勉強を通じて、幅広い知識を得たり、論理的思考能力を身に着けたり、正確にテクストを読み、解釈するという社会人としても必要な基本的な能力が培われたと思います。
……若さは、武器だ。……
外語大を卒業してからの経歴を教えてください
大学を卒業後、日本生命に入りました。日本生命では3年間外国株式投資に関連する業務を行っていましたが、その後会社を辞めて経営学の修士(M.B.A.)を取りに、ハーバードビジネススクールに留学しました。その後、短期間ベンチャーキャピタルで仕事をした後、2000年に現在の会社を知人と立ち上げて、以後、インターネット業界で仕事をしています。
◦最初に入った会社を3年で辞められたのはどういう背景があったのですか?
仕事自体にそれほど不満があった分けではないのですが、「どこでも通用するプロフェッショナルになりたい」と思っていたので、それはこのままこの会社で仕事を続けていても無理だろうなと思ったのが理由です。もう少し厳しい世界で色々と経験してみたかったので、辞めました。
◦その後留学されていますが、留学は今の仕事に役立っていますか?
直接今の仕事に役立っているというものは少ないと思います。
私の行ったビジネススクールは、ケーススタディで有名な学校で、ケースと呼ばれるビジネスの状況が描かれた冊子を読み、それを基にクラスでディスカッションするというスタイルでした。
2年間で、何百ものケースを読み、議論したことで経営者の疑似体験ができ、それが今の仕事に間接的にかなり役立っていると思います。
大企業の一社員で、経営する感覚なんて全くなかった自分が、この二年間で経営するということをかなり意識させられましたね。そういう意味でこの二年間がなかったら自分で会社を作ろうなんて思わなかったでしょうね。
◦起業されたきっかけは?
元々会社を興そうとか、IT系に興味があったわけではありません。
ビジネススクールに留学していた時期にちょうどアメリカでインターネットビジネスが流行り出していたところで、その波に乗って(笑)、金融業界から方向転換しました。
起業にはリスクはありますが、まだ若かったので、金銭的なリスクを除けば、キャリア的なリスクはないだろうと考えたので、迷いはなかったです。
つまり、最悪の場合、数年で会社を潰したとしても、若い時に起業して、経営した経験はその後活きるだろうと考えました。
◦起業した後は順調でしたか?
いえいえ、波瀾万丈です(笑)。
3年程度の社会人経験しかなく、何がなんだか分からないまま会社を作りましたので、すべてが手さぐり状態です。はじめの間は大学のサークルのようなノリでしたね。
不思議なもので、はじめはドタバタしていましたが、徐々にそういう状況にも慣れ、また徐々に会社らしくなってきて、社員も増え、自分なりのマネジメントスタイルというものも考えながら、10年以上経過しました。大企業に勤めていた時とは随分と働き方が違うように思います。
大した考えもなく、甘い考えで起業したのですが、それはそれでよかったと思います。やりながら、試行錯誤して、色々学び、身に着けていきました。
逆にあまり考えすぎると起業というのはできないかもしれませんね。
2008年には株式公開も果たし、上場企業の会社を経営するという経験もできました。
……ひとつの事に縛られない。……
◦柴田さんの将来の夢を教えてください。
具体的な事ではありませんが、色々な事を色々な役回りで同時並行にしていたいと思います。仕事、プライベート問わず。今は会社を経営しながら、NPO法人の理事長をやったり、大学で教えたり、色々なことに関わっていますが、それをさらに広げていきたいですね。飽きっぽいので、一つのことに邁進するより、同時に色々とやっている方が肌に合っているようです。
◦最後に、学生に向けてなにかメッセージをお願いします。
私は社会に出て、仕事を経験する中で、学生時代に思い描いていたキャリアとは違う方向に、やりたいことが変わってきました。学生時代は将来に向けての訓練の時間だと思います。勉強、クラブ活動、アルバイトなど、どんなことでも苦労しながらチャレンジし、懸命に取り組む限りは社会に出た時の力の基礎を作ってくれると思います。学生時代にやったことが直接社会にでて役に立たなくとも、基礎力があれば、やりたいことが変化しても対応できるものだと思います。学生時代に、将来役に立つかどうかというあまりに近視眼的な発想で考えず、興味を持ったことに一所懸命に取り組んでもらいたいですね。

インタビュア:井口秀太(ペルシア語専攻4年)
略歴
1990年生まれ。2008年東京外国語大学ペルシア語専攻に入学。幼少時代から続けるサッカーに加え、ストリートダンス、イラストレーション、バイク等、大学生活では関心を広く趣味に打ち込んできた。2012年に卒業後は、株式会社ケン・コーポレーションに入社予定。
記事掲載日;2011/9/21