『西郷南洲遺訓』を読む(61)代表的日本人 | 池内昭夫の読書録

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《『敬天、愛人』は、彼〔=西郷〕の全人生觀の要約であった》(内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)、p. 42)

と内村は言う。

《凡(すべ)ての智慧は、其(それ)を爲(な)すにあった。凡ての無智は、己(おのれ)を愛するにあった》(同)

 己を愛する気持ちが生じるのは、気が緩んでいる証拠である。すべての「無智」は、己を愛する気の緩みから生まれるということだ。

《「天」に就(つい)て、彼は如何なる觀念を懷(いだ)いてゐたか、彼は其を1つの「カ」或(あるい)は1人の「者」と考へたか、また自分の實行(じっこう)とは別に彼は其を如何に禮拜(れいはい)したか、我我には其を確める手段はない。

倂(しか)し彼が、其の全能なること、不變(ふへん)なること、而(し)かも甚だ慈悲ふかくあること、そして其の「法則」〔天理〕は凡てを拘束するもの、間然するところ無きもの、而かも甚だ恩惠ゆたかなるものであることを、知ってゐたといふことは、彼の言葉と行爲とが豐かにそれを證明してゐる》(同、pp. 42f)

 西郷の覚悟は圧倒的だ。が、これは理想的に過ぎるだろう。理想を追い求めるがあまり、西郷は現実から乖離(かいり)してしまい、現実に裏切られてしまったのではなかったか。

「白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」

寛政の改革を行った松平定信の政治は清廉そのものである。が、それも過ぎれば息苦しい。前の田沼意次の時代の方が、利権がらみの問題があったにせよ、庶民は豊かで暮らしやすかった、などという話になりかねないということだ。

《彼が『天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也』と言ふ時、彼は「律法と預言者」に於ける凡てを語ったのである。我我の間には彼が此の雄大な敎義を何處(どこ)から得て來たかを探求せんと欲する者もあるかも知れない。

 そして此(こ)の「天」は、凡ゆる至誠を表して到達せらるべきものであった。然(しか)らずしては、其のもろもろの道を知るの知識は、獲らるべきではなかった。人間的の智慧を、彼は嫌惡した。凡ての智慧は、人の心と志との至誠なるより生るべきものであった。心情、純潔にして、動機、高邁(こうまい)なれば、議事堂に於ても戰場に於ても、道は我らが共を要する時つねに近きにある。

常に計畫(けいかく)する者は、危機の迫れる時に何等の計畫を有せざる者である。彼の言葉を以て言へば、『至誠の域は、先づ愼獨(しんどく)〔獨(ひと)リヲ慣(つつし)ム〕より手を下すべし』である。人は其の處(ところ)に强くして、如何なる處にでも强くあるのである。「不誠實」と其の大なる子供である「利己心」が、我等の人生に於ける失敗の主原因である》(同、pp. 43f)