『西郷南洲遺訓』を読む(26)小人儒と君子儒との別 | 池内昭夫の読書録

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子謂子夏曰。女為君子儒。無為小人儒。【雍也第六】

(子、子夏に謂つて曰く、女は君子の儒と為れ。小人の儒と為る無かれ。)

 茲(ここ)に掲げた章句にある「君子儒」とは如何なるものか、「小人儒」とは如何なるものかに就(つい)ては、古来随分議論がある。苟(いやしく)も道徳あり文芸ある者は総て是れ「儒」と称せらるべきであるだらうが、そのうちにも、文芸を以(もっ)て立つ儒者と、道徳を以て立つ儒者との別がある。文芸を以て立つ儒者は是れを称して小人儒と謂(い)ひ、道徳を以て立つ儒者は是れを称して君子儒と謂ふべきものだらうと私は思ふが、「朱子集註」の圏外には、謝氏の説として、小人儒とは利を事とする儒者で、君子儒とは義に就く儒者の事であるとの意が載せられてある。然(しか)し之は宋儒の曲説で、猶且(なおかつ)君子儒とは道徳によつて立ち、経世済民を以て我が天職なりとする儒者を指し、小人儒とは徒(いたずら)に文芸を講ずるのみを是れ事とし、経世済民の念が毫(ごう)も無い腐儒(ふじゅ)の事であらうと私は思ふのだ。

 仏教には大乗と小乗との別のあるものと聞き及んで居るが、仏教の言葉を仮りて言へば「君子の儒」とは大乗の儒者の事で、「小人の儒」とは小乗の儒者の事である。医者なぞも人身の病を療(りょう)すのは小医で、国家の病を療すのが是れ大医であると昔から謂はれて居るが、小人儒と君子儒との別が恰度(ちょうど)それだらう。孔夫子は御弟子の子夏が単に文学に長じて居つたのみならず、高遠の理想を懐いて居る儒者であるのを看取(かんしゅ)せられ、徒に文筆に齷齪(あくせく)する小乗の儒者とならず、道徳を以て国を治め、経世済民の為に力を致す大乗の儒者となれよと勧告せられたのである。― 渋沢栄一 デジタル版「実験論語処世談」

《人間は決して平等に生まれついておらず、君子と小人の差異があり、世間一般には小人の数の方が多い。小人が君子の境地に達するためには、よほどの修業と内省が必要であるが、修業してもなお小人の域を越え得ないものが少なくない。だから、人を用いる時はこの差異を見抜かねばならぬのであるが、あまりに差別を厳重にして、小人を遠ざけてしまっては、かえって害をひきおこす。自ら君子を気取る学者や重役は、なかなか人を認めず、部下を許さないものだが、これは“狷介(けんかい)”(己れひとりを高くして人を容れぬ態度)であって、同僚からも部下からも孤立して、自分の職分をつくすことができないから、結局、まことの君子とは言えない。小人は大器の徳はそなえていないが、一芸に達し、実務の才能の豊かな者も少なくない。だから、その長所を取って、適材適所の職につけ、その才能を発揮させるがよい。

 藤田東湖の教訓を今の言葉になおせば、次のようになるだろう。「小人の才能は適当に用いなければならないものだが、おべんちゃらやゴマすりの名人が多いから、その才能の限界を見そこねて、長官にしたり、重職に任じたりしたら、必ず私利私欲の権謀家となり、汚職や派閥闘争にふけり、国家を覆すようなことをするから、よくよく気をつけなければならぬ」》(林房雄『大西郷遺訓』(新人物往来社)、pp. 37f)