『西郷南洲遺訓』を読む(23)<児孫のために美田を買わず>2説 | 池内昭夫の読書録

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三年、太子の太傳(たいふ)疏廣(そこう)、兄の子、太子の少傳(しょうふ)疏受(そじゅ)と、上疏(じょうそ)して骸骨を乞ふ。之を許し、黃金(おうごん)を加賜(かし)す。公卿(こうけい)・故人、祖道を設け、東門の外に供張(きょうちょう)す。送る者、車數百兩。道路觀る者皆日く、賢なるかな、二大夫(たいふ)、と。

既に歸って、日に金(きん)を賣(う)り共具(きょうぐ)して、族人・故舊(こきゅう)・賓客(ひんかく)を請ひ、相(あい)興(とも)に娛樂し、子孫の爲に產業を立てず。日く、賢にして財多ければ、則ち其の志を損(そん)し、愚にして財多ければ、則ち其の過を益す。且(か)つ夫(そ)れ富は衆の怨(うらみ)なり。吾(われ)其の過を益し怨を生ずることを欲せず、と。

(3年に、太子の守役の疏広が、兄の子の同じく守役の疏受と、書を上(たてまつ)って辞職を願い出た。帝はこれを許可され、(在官中の功を嘉(よみ)して)特に黄金を賜わった。三公九卿をはじめ、昔なじみの友人たちが、道祖神を祭って(道中の安全を祈り、)送別の宴を都の東門の外で開いたら、見送る車が数百台に及んだ。(この有様を)道路で見物していた者は、口々に「えらいお方じゃ、お二人の大夫は」といった。

2人は、すでに故郷に帰ると、毎日、天子から賜わった黄金を銭にかえて酒肴(しゅこう)をととのえ、親戚や友人や客人を招いて、一緒に遊び娯(たの)しみ、子孫のために財産を残すことをしなかった。そしてこういった、「すぐれた者で財産があると、(安楽に流れて)その志を駄目にするし、愚かな者で財産があると、(放蕩に走って)その過失を助長する。それに富というものは、とかく多くの人から怨まれ易いものである。自分は子孫が過失を益したり、人の怨みを買ったりすることを欲しない」と)― 林秀一『新釈漢文大系20 十八史略 上』(明治書院)、pp. 297f

 この話と軌を一(いつ)にするのが、「子孫のために財産を残すと、それに頼って努力をしなくなりかねない。だから財産は残さない」という子育て論的解釈である。

 が、それでは第2句<丈夫玉砕愧甎全>(其の男子たるものは玉となって砕けても、瓦のようになっていつまでも生き長らえることは恥とするものである)と整合しないという意見もある。第4句は、「子孫のために美田を遺(のこ)そうなどと考えては、志を全(まっと)うすることが出来ない」。詰まり、「志を全うするためには、すべてのものを犠牲にせよ」のように解釈すべきではないかということである。私は、後者の説を支持する。

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渡部昇一氏は、「私有財産」にまで敷衍(ふえん)した独創的な解説を行っている。

 この「美田」を「票田」と言い換えると、今の2世議員などみんな美田を親に残してもらっています。けれども、私はこれをもっと広げて私有財産というものについて考えてみたいと思います。

 南洲の考え方の中には、貧富を心配するなということがよく教えられており、これは貧しいときは非常に支えになります。しかし、貧しいことを恥じないということもいいけれども、豊かになっては悪いという考え方になっては困るのではないでしょうか。豊かな人がたくさんいる、衣食に困らない中産階級の幅が広いということが、文明国としてはいちばんいい姿なのではないかと思います。(渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、pp. 64, 66)