『西郷南洲遺訓』を読む(22)児孫のために美田を買わず | 池内昭夫の読書録

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5 或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全(せんぜん)。一家遺事人知否。不為児孫買美田」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したるとて見限られよと申されける。

(あるとき、「人の志というものは何度も何度もつらい目を経てはじめて固まってくるものである。其の男子たるものは玉となって砕けても、瓦のようになっていつまでも生き長らえることは恥とするものである。自分が我が家に残しておくべき教えとしているものがあるけれども、それを知っているであろうか。それは子孫のためによい田を買わない、財産を残さないということだ」という七言絶句を示されて、この言葉に違(たが)うようなことがあったら、西郷の言うことはやることと反しているといって見限ってもらってもいいと言われた)―渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、pp. 63f

 <児孫のために美田を買わず>。この有名な一節をどう解釈するのかが問題となる。

丞相亮、嘗(かつ)て帝に表して日く、臣、成都に桑八百株、薄田十五頃有り。子弟の衣食自ら餘り有り。別に生を治めて以て尺寸(せきすん)を長ぜず。臣(しん)死するの日、内に餘帛(よはく)有り、外に贏財(えいざい)有つて、以て陛下に負(そむ)かしめず、と。是に至って卒(しゅっ)す。其の言の如し。忠武と諡(おくりな)す。

(丞相(じょうしょう)の亮は帝に上表して、「私は成都に桑八百株(しゅ)、やせ田五十頃(けい)を持っており、子弟の衣食はそれで十分でありますから、別に生業を営んで、わずかな財産を増やそうとは思いません。私が死んだ日に、家には余分の衣服があり、外には余分の財産があったりして、陛下のご信頼にそむくようなことは決して致しません」と誓ったことがある。いよいよなくなって見ると、生前の言葉通りであった。忠武と諡(おくりな)された)― 林秀一『新釈漢文大系20 十八史略 上』(明治書院)、p. 450

 渡部昇一氏は、次のように解説する。

《孔明(こうめい)が死ぬときに、劉備(りゅうび)の息子・劉禅(りゅうぜん)にいった。

「自分は成都(せいと)に桑(くわ)八百株(しゅ)と痩せた田を十五頃(けい)持っています。だから、自分の子供たちの衣食は余裕があります。別に財産を増やしたり、富を増やすことはさせません。私が死んだときに、私の家にたくさんの着物があったり、その他に多くの財産があったりして、陛下の信任を裏切るようなことは一切いたしません」

 自分が死んでも子供が食えるだけの蓄えはある。しかし、それ以外に余分な物や財産は一切ない。そんなものを残して信頼を与えてくれた陛下を裏切ったりしない。そういって、孔明は死んだのである。その言葉が「内に餘帛有り、外に贏財有つて、以て陛下に負かしめず」(不使内有餘帛、外有贏財、以負陛下)である。

 そして実際に、孔明は余計な財産は何も遺(のこ)さなかったという。

 一国の宰相まで務めた孔明が「財産は何も遺さない」といえば嘘になる。だから「子孫が食べていくだけの財産はある。しかし、それ以外はない」といったわけである。これは嘘のない言い方であろう。

 この孔明の言葉は西郷隆盛の「子孫の為に美田を買わず」の思想にもつながるものである》(渡部昇一『十八史略の名言に学ぶ 歴史は人を育てる』(致知出版社)、pp. 215f)