今日は、江戸川区総合文化センターにて、江東5区共同での大規模水害広域避難計画についての研修会があり参加してきました。
今回の講演のタイトルは、
「大規模水害への対応を考える」
~広域化、激甚化する災害に向かい合うこれからの防災のあり方~
でした。
ようするに、行政に頼らず自己責任で命を守りましょう、行政は大規模水害等自然災害から住民の財産生命を守ることには責任もちませんよ―、と、いうことと受け取りました。
これはなかなか、すごいお話です!
こういった研修を、行政が主催して行ったことの意味を考えないといけません。
江東5区が寄り集まって、災害対策行政の責任放棄を高らかに宣言したにほかなりません。
資料では、
「江東5区では、非浸水地域の自治体と避難の受け入れについての協議を進めていますが、具体的な場所はまだ特定できていません。避難場所を開設できたとしても限りがあり、また混雑してプライバシーを確保することも難しいです。そのため、早めに浸水しない地域の親戚・知人宅やホテル、民宿、勤務先等の避難先に避難しましょう。
江東5区以外の親戚・友人宅等の避難先の確保をお願いいたします。」
なのだそうです。
区民にこういった危機感を伝えてほしいと繰り返し言われていました。
「災害は起こりうる」ことの緊張感を持って暮らしを営んでいく事は必要ですし、そのための心構えやできる範囲の備えをおこなうことは、当然に周知していきたいですが、災害対策行政の責任を求めないことは、違うでしょう。
例えば、福一原発事故の時は、原発立地地元の双葉町長であった井戸川元村長は、村としてのアイデンティティーを失わないために村全体でまとまった避難が必要と主張され、福島県内避難を経て、埼玉県スーパーアリーナ、加須市へと地域・故郷を守るための避難を実行されました。
しかし、県外避難が厭われ、双葉村長から追い出され、結局村民はバラバラにされて県内へと引き戻されてしまいました。
県外避難を嫌う国や県の圧力が働いたといわれます。
私が思うに、この講師の方は、議員・住民に対し自己責任意識を植え付けるのはやめて、広域避難しかないという「解」を高らかに主張することと合わせて、江東5区の大規模水害に際し浸水被害の低いと考えられる自治体や民間体に対し、域外避難をきちんと受け入れろと説教すべきです。
域外避難を拒否する行政の事なかれ姿勢こそを変革しなくては、被災推定自治体において計画が作れないのは当たり前でしょう。
ぜひ、この熱意をもって、広域避難の受け入れを拒んでいる・やんわり拒否している・やらない理由をあれこれ言って協力してくれない、区や他県自治体行政に、広域避難を受け入れて計画をたてろと求めてほしいものです。
行政は避難計画を立てられないから自己責任で勝手に逃げろということは、防災行政の「自死」に他なりません。
憲法はどこへいった?
民間の立場で好き勝手言うのは、自己責任における言論の自由でしょうが、行政がそれを言ってはおしまいです。
何とも言えない、スリリングな研修会でした。
葛飾区のみずま区議とご一緒でき、あーだこーだとお話しできて、よかったです♪
最大の「防災」は、そんな無責任な自治体下に住むことをやめて、引っ越すことでしょうか。
私は「地球市民」なので、どこへ行ってもどこに住んでも我が故郷です♪
広い心をもちましょう♪
江戸時代以前の河川を人為的に工事し、自然な流れを変え、上流では山を拓き開拓し、そうやって人の手を加えて自然の営為を人間がコントロールしようとしてきたことに対し、地球が疑義を呈しているのではないかとも思えてきます。
(私は無神論者で、アニミズムではないですが)
そもそも地球の温暖化現象は人為的にコントロールできうるものなのか、地球の一種の過渡的営為なのか、であるなら、気候変動に適応できた種族のみが生き残り、今後の生命活動を持続させていくのでしょう。
恐竜は氷河期を迎え絶滅しましたが、人類は温暖化をむかえて―?
いろんなことを考えた、研修でした。
けどひとつ、はっきりしているのは、防災行政は自殺しちゃいけない、です。
憲法25条の理念を発揮し、国・地方自治体としての社会的使命を果たすべきだと私は思います。