「とにかく新基地は造らせない。でも、もし万策尽きたら、その時は2人で座り込もうな」
翁長さんが県知事に当選した夜、自宅でそう語った言葉だそうです。
もともと基地容認派であり、辺野古移設も賛成の立場から一転、2014年の県知事選で移設反対へ。
「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げ、保革の壁をやぶって「オール沖縄」を導いてこられました。
以下のリテラ記事がツイッター等SNSで飛び交っていますが、表題の言葉を見て、翁長さんの政治家としての覚悟、責任感を痛切に感じました。
ひるがえって、自分はどうだろうか―
どういう覚悟をもって、責任感のもとに、議員という仕事をおこなっているだろうか
万策尽きても、座り込んででも諦めず闘う
そんな翁長さんの固い覚悟の火を、私も、心に灯す一人となりたいと思います。
改めてご冥福をお祈りいたします。
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LITERA2016年1月8日記事より引用
「とにかく新基地は造らせない。でも、もし万策尽きたら、その時は2人で座り込もうな」
沖縄県の翁長雄志知事は知事当選を果たした夜、自宅に戻って晩酌を傾けながら妻にこう語ったという。証言したのは、その翁長知事の妻・樹子夫人(60)。
夫婦二人で辺野古に座り込むというのは、かなり悲壮な覚悟だが、たしかに、辺野古移転を巡る翁長知事と安倍政権の対立は緊迫の度を増している。
(中略)
とはいえ少女暴行事件が起きてから、基地反対に変わるまで約20年もの年月がかかってしまった。しかし少女暴行事件に端を発した妻・樹子さんの思いに呼応し、翁長知事自身、「長年の怒りや悲しみの感情が積もり積もっていたはず」だと樹子さんは言う。そして、保守の壁を打ち破るために知事選で打ち出したスローガンが「イデオロギーよりもアイデンティティ」だった。
「知事選に出るときに、あの人は『ぼくはピエロになるかもしれない』と言っていたの。一歩間違えれば、保革双方の支持者が離れていくって。でも彼は『自分はそれでも構わない』とも。もっと言うとね、私言ったの。『あなた、殺されちゃうかもしれないよ』って。それでも翁長は『それでもしょうがないと思っている』って」
現在辺野古のゲート前で声を上げるなど基地反対を叫ぶ樹子さんだが、夫とともに沖縄のため平和のために闘っていく決意をしている。
「裁判の行方はわからない。でも勝とうが負けようが、沖縄のプライドだけは、もう捨てたくない。そして、1人でも多くの子どもたちに、沖縄戦のことを、平和がいかに大切かを、伝え続けていきたい」
(中略)
翁長知事夫妻が基地前に座り込むような「万策尽きた」事態になる前に、私たちの手で安倍政権の横暴を食い止めなければならない。(伊勢崎馨)
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