昨年の7月〜12月、就労以降を利用して就職が決まったことは以前にも記載した通りである。

そして私は松坂大輔世代、世間では超就職氷河期世代、ロストジェネレーション世代とも言われる、新卒時に有効求人倍率が1を下回っていた、不遇の世代でもある。

22年社会人をやっているが、正社員だったのは僅かで、ほとんどが派遣社員だった。正社員が安泰だったのも昔の話で、私が就活していた頃には、50社〜100社受けて1社受かればマシ、受からなければ新卒派遣という、苛烈な状況が待ち構えていた。

私が精神を病んでドロップアウトした辺りに、小泉政権による派遣法改正で、以降の日本には非正規社員が激増していくことになる。

ロストジェネレーション世代は、今、40歳〜50歳くらいの年齢で、他の世代よりも給与のレンジが低くて、恐らく日本の給与の平均値より、年収ベースで50〜100万は少ない稼ぎでカツカツの生活をしている。生まれた時代が悪かっただけで、我々には落ち度も何もないのに、チャンスも碌に与えられず、切り捨てられてきた。

私たちの世代に対して自己責任を説く者もいる。確かに私の世代でも富豪はいるし、その結果から、努力不足を言いたがる者がいることは不思議ではない。

ただ我々は、努力云々の話をするなら、努力をする環境すら用意されなかった世代だ。どんなに足が速くなる努力をしようとも、当時、スプリント競技が世の中から消えたのだから、努力の成果を披露することもなく、またコーチにも出会えず、磨けば光ったかもしれない人も、世代という理由で走る場所さえなかったわけだ。


障害者雇用はまだまだ未熟な制度で、3種の手帳全部併せても、正社員になれた人は1割いるかどうか。しかも、身体でも目に見える障害の人と、知的の人が優遇されがちで、精神は最も不遇である。


だが、この先、真っ当な暮らしをしていくために、正社員になれる可能性が極めて低かったとしても、可能性がゼロでないなら、挑戦しない理由にならない。例え限りなくゼロに近くても、ゼロでないのなら、その小さな可能性を掴みにいく。無謀と笑われようとも、だ。

無論、今から富豪になろうというのなら、そりゃあ無理だろう。フェラーリに乗りたいとかタワマンに住みたいとか、そんな大層な欲望ではなく、衣食住に困らず、たまにはちょっとの贅沢ができて、共稼ぎでもいいからパートナーと一緒に生活していけるだけの、ささやかな稼ぎを望んでいる。

歳も歳だから、身の丈に合ったものを望むが、それを得るための努力なら惜しまずやる。これまでだって、自分の居場所は自分で開拓し、それなりの評価も努力の末に手にしたものだと思う。


NARUTOに「自分を信じない奴なんかに努力する価値はない」という、マイト・ガイのセリフがある。


根拠はないが、やればできる、そして努力をするのは今なんだと、そう思ってやってきた。「やればできる」は、松岡修造やティモンディ高岸みたいに暑苦しいから、他人には言わないし、何だってできるとも思わないが、努力する方向を間違えなければ伸びるスキルツリーもある。だから、私は世代に翻弄されたとしても、最後まで足掻いてやろうと思っている。