今となっては、私の弟しか真相を知らないが、私は超絶機械音痴であった。Z世代には分からないかもしれないが、昔のVHSのビデオデッキやスーパーファミコンなどをテレビと繋げることすらできない、今で言うなら、スマホは持っているが、ほぼ操作ができないレベルの機械音痴だった。

だから一生かかっても、機械に強くなることはないと思っていた。

専門学校ではパソコンを学ぶ学科だったが、それはあくまで、ソフトとしてのパソコンが使えないと21世紀は辛いだろうと考えた上で選んだのだが…

ここで化学反応が起きたらしい。まあ、Windows98があったから、というのも大きな理由にはなるが、学校で教わるだけでは足りないからと、新聞奨学生で給与は少なかったが、1999年、当時としてはハイスペックなPentiumⅡ搭載、メモリースティックも搭載したSONYのVAIOを30万で買い、文字通り壊すまで弄り倒した。この投資があったおかげか、社会人23年目であるが、どこへ行ってもパソコンやシステムに詳しい事務員として認識され続ける日々である。

弟のように生まれたときから詳しいわけではないのだが、今、デジタルものに関する知識や能力は弟と拮抗している。

後天的であっても、好きなもの、夢中になれるものと出会えたら、取り敢えず飽きるまでやってみることをオススメする。

人生を生きていく上で、学生時代に身に付けたものだけで勝負していかなければならないわけではないし、例えば必要に駆られて弁当を作るうちに料理に目覚めたり、才能はいつ開花するか分からないし、どんな才能が開花するかも分からないが、やってみることでしか才能の開花はない。

私は、自分がパソコンやスマホなどに特別詳しいとは思っていない。相対的に見れば世の中では詳しい人間になるのだろうが、それはあくまで世の平均値から見た場合の話であって、まあそれは人よりたくさん触ってきたし、たくさん失敗してきたから身に付いただけのことだ。

不条理なもので、自分がなりたい職業のスキルツリーは大抵思ったようには伸びないが、好きを仕事にするのではなく、得意を仕事にする方が楽なはずなのだ。