主治医からの病状説明と、理学療法士からの6週間に渡るリハビリ計画を聞く予定で出掛けたのに
エレベーターを降りるとそこには着替えを済ませ
椅子に腰掛けカバンを抱えた実母が居て
夫の一周忌は何がなんでも自宅で迎えたい…そんな母の意気込みに圧倒されたのでしょう
「本人の意思が固いので退院して様子を見ましょう」と医師
5月10日金曜日、母を実家へと連れて帰りました
母が退院したからには、側に居て希望を聞きながら二日後の準備をするべきだったのかもしれませんが
私なりに考えていた父の祥月命日の過ごし方を変えたくはなくて
祖母の祥月命日でもある前日の5月11日
父が愛用していた水筒とキャップをリュックに押し込み、当初の予定通り『巡礼ハイキング』を決行
穏やかな気持ちで、山野草が好きだった祖母と父、そして自然の中で伸びやかに過ごす娘を身近に感じながら山道を歩くことが出来ました
実父の一周忌(祥月命日)当日
2024年5月12日は
娘の51回目の月命日であり母の日でもありました
まずは娘として
朝一番でお供花とお供えを実家の仏壇へ届け
次に娘&母親として
お寺へ向かい父と娘の回向をお願いし
帰宅後、母の日のプレゼントを手にもう一度母を訪ねると、お供花と盛り籠を持った実兄も訪ねてきて
母と同居する叔母、兄と私…わずか4人だったけれど和やかな時間の中で父との思い出を話しながら
父の故郷に暮らす友人と親族から届いた、その土地の銘菓や特産品などにに囲まれた、遺影の父の笑顔を見ていたら
形にとらわれず今できることを
できる人たちがすれば良いのだと改めて感じました
父には小学校の同級生であり、登山仲間でもあった親友がいて
未だ遺された母宛に毎月手紙を書いてくださいます
その方から戴いた今月の手紙の中に
『継続する絆 理論』という言葉を見つけました
グリーフについて
喪失(死別)後、段階的に「受容」へと向かい、亡くしたものとの繋がりを絶って「乗り越える」ことを目指すかつての理論において
いつまでも亡くなった人に話しかけたり
遺品を大切にとっておいたり…など亡くなった人との繋がりを継続することは「異常(病的)」とみなされやすかったが
それに対して近年、世界的に広く支持されるようになってきた考え方『継続する絆 理論』においては
亡き人との絆を継続することは「自然(正常)」なことであり、愛する者と死別した際、故人との繋がりをなんらかの形で保ち続けることは、死別への適応において大切だ
…とされています
また、興味深いことにこれは、日本の先祖崇拝にヒントを得て生み出された概念だとか
確かに、、、回忌法要やお彼岸、お墓参りを欠かせないと感じるのは
そうすることで、娘や父を始めとする故人との繋がりを感じたいからなのかもしれません
夫の一周忌に涙を流す母を見ていた時は
『まさか娘への想いが薄れたわけではないよね?』
…と、月命日にもあまり涙を流さなくなった今の自分に少し嫌気がさしたけれど
命日からの数日を振り返り、頭の中を整理しながら言葉にしていたら
時間の経過とともに自然と気持ちが変化していくことは決して悪いことではない…
亡くなった人との絆は、自分たちにしっくりとくる形で結び直すことが大切なんだよ…と
彼方の父が
彼の親友を通して教えてくれたのだと感じて
『長く心に残し、思い出しては微笑む』
父の親友の言葉を心に刻み
前を向いて生きたいと思いました
今、君の姿は見えないけれど
君とママとの絆はこれからもずっと変わらない
そう感じる時間が
少しずつ増えてきたのかもしれない
ママは君との永遠の絆を信じてるよ
これからもずーっとずっと近くにいてね
最後までお読みいただき、ありがとうございました