2026年5月12日は

娘の75回目の月命日であり
実父の3回目の祥月命日でもありました





最近

なぜ月命日ごとにお寺へと足を運ぶのか?

いつまで通うのだろうか?


…そんな事を考えるようになっていて


当日の朝も少し気持ちが重たかったのだけれど


ひとりでは出掛けることも出来なくなった母に代わり、父の回向をお願いしようと考え



ゴールデンウィーク中の長女と過ごす時間の中で感じた「次女のいない空虚感」を埋められないボンヤリとした頭のまま、いつも通り夫とふたり出かけていきました





その日のお寺はわずか数人の参拝客を境内で見かけただけで、尼僧さんもお時間があったのでしょう



「先だって七回忌法要に呼ばれましてね…」と


娘の七回忌を終えたばかりの私たちに、七回忌の別名『休広忌』について丁寧にお話くださいました





故人の魂が修行を終え、心穏やかに安らいでいる状態を表す『休』と


仏様となった故人の慈悲が私たちに広く行き渡ることを意味する『広』を合わせた『休広忌』



故人の私たちを慈しむ想いが私たちに伝わり、私たちの心もまた穏やかになる…それが七回忌のころ



思いもよらない出来事やご縁は

故人からのご慈悲であり


供養というのは故人と供に寄り添い

自身の心を養い成長させていくこと


故人との別れををきっかけに『今』の大切さを身をもって感じた私たちが『今』を大切に生きていくことは故人の供養にも繋がる




6年の歳月のなかで悲しみ、苦しみ、恨み、怒りなどの感情を超え様々な経験をしながらも

病に倒れることもなく、無事その節目の時を迎えることができたのはとても有り難いことなのだから



思議すべからず=不思議

という言葉のとおり



無理に理解しようとせずに一期一会を大切に




私自身がそう心がけている中で

あなた方にお会いし

言葉を交わし

その会話の中であなた方が何かを感じ

それが今へと繋がっているのですから



どうかあなた方も一期一会を大切に

今を大切に生きてください




そうお話くださいました





悩む心のうちを見透かされたような

それこそ不思議な気持ちになったものの




仏教とは縁遠かった私が、菩提寺でもないこのお寺へと足を運ぶようになったことも


疑問を抱きながらも

今月の月命日にもまたお寺を訪ねたことも


娘や父を含めたご先祖様からのご慈悲で




今までに何となく「娘の導き」だと感じてきたことすべてが娘からの慈悲であり


私が娘を想い、供養になるならと手探りながらも続けてきたことは確かに娘に届いている


見えない形で今なお娘と繋がっているのだと


少しホッとしたのです





帰宅するとゴールデンウィーク中に依頼していた娘の肖像画が届きました


何も伝えていないのに

月命日のその日にです






忙しない日々のなかでも

次々と花を咲かせてくれている庭のバラたち


最後に花開いた品種、香りの良いナエマを

ようやく写真に収めることができました





あれからの6年



引きこもりの2年を経て


ようやく人との関わりを持てるようになると

娘のことを口にできない自分に苛立ち、焦り


そしてこちらへと辿りつき

同じ境遇の方々とのご縁に救われてきました


これもまた娘の慈悲なのでしょう




自信をなくした状態では

不確かなことや

誰かの言葉に心が揺れることも多く

その都度悩み落ち込み自分を責めてしまう


でも、考えても仕方のないことだと割り切る事ができたらもう少しラクなのかもしれません




私にとって

娘の月命日は

忙しなくなってきた日常から離れ

自身の行いを振り返り

私の今のお役目に向き合う日




先のことまで考えすぎず

出会えた方々への感謝の気持ちをもって

今できることを精一杯に



それが娘の供養になると信じて

生きていけばいい




そんな気付きをいただいた月命日でした