娘を喪ってから3回目の年越し


昨年同様、主人と私両方の実家から遠く離れた長女の暮らす土地で、静かに新年を迎えました





わが家にお正月はもうないから

「おせち料理は要らないね」と話していた筈なのに


大晦日、ギリギリになって

「お雑煮くらいは作る?」と自ら提案し

買い物に出たついでに伊達巻や錦卵、黒豆、数の子…妻として母親として無理に気持ちを上げ

その後の急降下で一気に自己嫌悪



元旦には初詣へと出掛けて
家族連れや母娘の姿に心が落ち着かなくなり



長女にお年玉が届いたと知れば

見て見ぬ振りはできないからと

お年賀を用意しに街へと出掛け

娘とよく似た女の子を目で追いひとり辛くなる



どこへ逃げても


新年といえば未来への夢や希望を抱く人々で世の中が浮き足立っていて

私たちだけが取り残されたような気持ちになるのに


何しているんだろう…



そんな事を考えながら立ち止まった信号待ち


幼い女の子を連れた幸せそうな家族から目が離せなくなり「なんで私たちだけ…」と口にした私に


「うちだけかは分からないけどね…」と呟いた主人の言葉がいつまでも心に引っかかる



確かに…ただ私たちが知らないだけで

楽しそうに見える笑顔の裏に誰がどんな辛さを抱えているかなんて分からないし

私たちが自死遺族だなんて
誰ひとりとして思いもしないでしょうね



そして、主人の言葉を反芻していて気付きました

それが娘からのメッセージだってことに



すべては自分の気持ち次第



だとしたら、自分を哀れな人にしているのは自分自身なのかもしれません




ポツリと呟く君の短い言葉が

的を射ていて いつもハッとさせられたって


君のそんなところは

パパによく似ていたって思い出したよ


パパのあの言葉は君の言葉だった


すべてはママ次第


こんなママでは君のところへ行けないね


君の居ない哀しみを抱いて

たとえ気持ちが上がったり下がったりしても

心地よさを探して一歩ずつ進んでいく


心穏やかに過ごす時に君を感じられると信じて


君に近づけると信じて

がんばってみるよ


気付きを今日もありがとう




娘を喪い

3回目にしてもまだまだ辛い年明けですが

夜になるとこちらを訪れ みなさんのブログに触れ

自分だけではない…と安堵します




本年もどうぞよろしくお願いいたします