遠く海外に暮らす中学時代の友人が

3年ぶりの一時帰国で
わが家にも遊びにきてくれました


娘を見送った直後のコロナ禍

ラインでお互いの国の状況を報告し合った一年間は

文章にして娘の死を伝えることが出来なくて



彼女にそれを伝えたのは年明け

届いた年賀状に対して一斉に送付した

寒中見舞いでのことでした



「いつでも側に居るから…」

直ぐに メッセージの添えられたお供花が届き

その翌年も

そして 娘の誕生日にも

彼女から温かいメッセージと花束は届きましたが

娘の死に関して

なぜ?と聞かれることは一度もありませんでした



 

「まずお線香を上げさせて」と

娘の前に座り

娘の大好きなお菓子と花束を手向け
静かに手を合わせる彼女の背中を見つめていたら

幼い子どもたちを連れて出かけた夏祭りの記憶が蘇ったのだけれど

意外にも辛くはなくて…


積もる話に花が咲き 

子どもたちの成長を報告し合い

年老いた両親の状況を確認し合って


もちろん娘の話にもなったのだけれど

不思議と そこにも涙はなくて…



直接会えたのに

事の経緯も なぜ?も訊かない彼女は

一緒に暮らすご家族にも 

こちらのご実家のご両親にも
娘の死を伝えていなかったのです


「こんな事をずっと抱え込ませてしまっていたんだね…ごめんね」と言った私に


娘を喪った私の気持ちに立つと

簡単には言葉を発することができなかった…と

言葉を詰まらせた彼女


そう口にした時だけ そっと涙を拭った彼女の誠実さ、優しさに胸が熱くなると同時に

20年に渡り海外で子育てをしてきた母親としての彼女の逞しさを感じました



彼女と出会った14歳の頃を振り返る時


ごくありふれた日常の中に

娘が心地よく過ごす事のできる環境、出会いの場を

与えてあげられなかったことが悔しくなります


また、私にとっての彼女のような

かけがえのない友に代わり


せめて自分が安堵を与えてあげられる頼もしい母親であったなら…と
あらためて悔しく思いました








別れ際


ママの胸元で揺れるネックレスのことを


ステキね…と言ってもらえて


君のカケラが詰まっているんだ…って伝えたら


だからずっと目が離せなかったのね…だって


そこに君を感じていたそうです


一緒に居てくれたんだね



スター



あれから


時間が止まってしまっているわが家に


温かく寄り添ってくれる友が

またひとり


優しい風を運んでくれました

感謝