あの日
娘は何か言いたげな瞳で私を見ていたのに
私は「どうしたの?」と訊いてあげなかった…

私にしか分からない黙ったままの娘の表情

言葉にできない娘の気持ちを、見て見ぬふり、気付かぬふりしたんだ…なんて冷たい母親だろう


そう思いながら


あの朝の娘の表情を思い出そうとして

ハッとしました

ハッキリと思い出せなかったからです



日々の思いを書き留めるようになったのは

8回目の月命日の後で


それよりも前の記憶は私の頭の中だけ


自責の念が強すぎたからでしょうか

私の記憶にある娘の辛い時の表情と、私が勝手に想像するあの時の娘の思い、私の思い込みが

あの日の記憶を塗り替えていると気付きました



事後、家族にはあの日の記憶の全てを伝えてきたつもりなのに

あの日を振り返り自分を責める私に誰もが
「そんな風には話していなかったよ」
「考えすぎだよ」としか言わないのは
私に対する優しさで言葉を濁しているのか?
人間の記憶というものが曖昧なものだからなのか?
それとも
私が事実を家族に伝えていないということなのか?


考えてみたら最後の朝、家に居たのは娘と私だけで
送り出したのも私ひとりだったし

このままでは 娘の最後の日を忘れてしまうのではないかと怖くなって

私が忘れてしまったら、それまでのあの子の存在すら消えてしまいそうで


たとえ辛い記憶でも もう一度呼び起こし

事実は事実として私自身が書き留めておかなければならないと思いました



事実…実際に起こった、または存ずる事柄

(Oxford Languages)



私の書く文章は私の視点で捉えた私の記憶で

それイコール

娘の気持ち あるいは事実ではないかもしれない…

娘は「書いてほしくなかった」と言うかもしれないし、「違うよ!」と拗ねるかもしれない


そう思うと、書くことは躊躇われるのだけれど


それでもいつかは

少しずつ 感情を乗せずに

娘と歩んだ時間を…事実だけを… 

このブログに残していきたいと思っています






君が身をもって伝えたかったこと

たとえ今は理解できなくても

残した記録を元に
もっと成長したママの視点からなら
理解できるかもしれないから

その時のために

慎重にひとつずつ少しずつ

記憶を書き留めていくことにしたよ


彼方から見守っていてね

そして

違うと感じたのならサインを送って欲しい


いつでも君の前では誠実でありたいから


いつも君の味方でいたいから


なによりも大切なのは君の想いだから