以下、大和岩雄『神々の考古学』(大和書房、1998年)から引用です。

ーー

2、太陽と星とピラミッド


三つ星と住吉大社とピラミッド

p.72〜75
 大阪の住吉大社は「すみよっさん」と呼ばれているが、大阪のひとびとにとって初詣といえば「すみよっさん」であった。住吉大社の祭神は『古事記』や『日本書紀』(一書の第六)は、底筒男[そこつつのを]命・中[なか]筒男命・上[うわ]筒之男命(『日本書紀』は表[うわ]筒男命と書く)の三神と書く。現在はこの三神と神功[じんぐう]皇后がまつられているが、筒男[つつのを]三神の神殿は[略]縦に並んでいる(第四本宮は神功皇后の神殿)。縦に神殿が並ぶのは日本中の神社で住吉大社のみである。
 私は1989年に刊行した拙著『神社と古代民間祭祀』で、筒男三神はオリオン座の三つ星だと書いた。「つつ」は古語で星をいうから、吉田東伍(『倒叙日本史』)・倉野憲司(『古事記・祝詞』頭注)・大野晋(『日本書紀〈上〉補注』)らもオリオン座を三つ星とみるが、この星神説には批判もある。私は拙著で反星神説についてくわしく反論し、縦に神殿が並ぶのは、縦に並んであらわれる三つ星をあらわしていると書いた。
 野尻抱影は、住吉大社の筒男三神が、「次ぎ次ぎと海から生まれたとする神話は、ミツボシが直立して、一つ一つ海から現れる姿をしきりに思わせる。現在でも諸地方の猟師は、ミツボシを土用一郎、二郎、三郎と呼び、三日にわたり、沖から一つずつ昇ると言っている」と書いている。
 草下英明も、オリオン座の『三つ星の右はじの星は、ちょうど天の赤道の真上に位置をしめているので真東からのぼって真西に沈んでゆく。そして、三つ星は東の空をのぼるときはたて一直線となってじりじりとせりあがってくる。西にまわると横一直線になって一気に沈んでゆく。したがって三つ星の位置によって東西の方角を判定することもできる」と書いているが、野尻も「三つ星は天の赤道に位置して、正しく東から昇り、正しく西に入るので、海上ではアテ星である」と書いている。航海にとって特に重要な星であったから、筒男三神(三つ星)がまつられたのであろう(神功皇后がまつられているのも、皇后の新羅征伐のときの航海を案内し、海難守護の役割を果たしたのが筒男三神だからである)。 
 三つ星が一つ一つ直立して縦並びに昇るのは東の空である。南中のときは三つ星は斜めに傾く。西の水平線または地平線にかくれるときは横並びである。したがって縦並びの住吉大社の神殿は東を意識してか、社殿はすべて西面して東を拝するようになっている。縦一列の神殿の配置も特例だが、神社の社殿は南面が多いから西面も異例である。このような配置は、東の空に縦一列に昇るオリオン座の三つ星を筒男三神とみたから、東の三つの神座(三つ星)に西面する縦一列の神殿を建てたのであろう。 
 筒男三神は海人の阿曇[あづみ]氏の祖神の綿津見[わたつみ]三神とともに海から生まれているが、阿曇氏の祖神が国つ神なのに、天平10年(738)に書かれた『古記』(『令集解』所引)は、筒男三神を天つ神にしているのも、この神が海から生まれて、天に昇る神であることを示している。
 このようにギザの3つのピラミッドと同じに、オリオン座の三つ星を地上に表現した神殿が住吉大社の神殿だが、3つのピラミッドは南中時の三つ星だから斜めに3つ並ぶが、住吉大社の場合は、東の空に縦一列に昇る三つ星だから縦一列に3つ並んでいるのである。



ギリシア神話と住吉縁起と浦島伝説

p.77〜78
 浦島伝説と住吉大社が関係あることは、拙著『神社と古代民間祭祀』で詳述したが、『丹後国風土記』逸文の浦島伝説では、浦島子が海神の娘亀姫の夫になるため、海神のいる竜宮城へ行き、門から入ろうとすると、門の外へ亀姫の夫であった七豎子[ななわらわ]と八豎子[はちわらわ]が出てくる。この前夫が門外へ出ると、新夫の浦島子が竜宮城の門をくぐる。前夫の七豎子は、昴星[すばる]、八豎子は畢星[あめふり]と『風土記』は書くが、牡牛座の牡牛の肩になるプレアデス星団は七つ星で、七豎子の昴星であり、牡牛の顔になるヒヤデス星団は八つ星で、八豎子の畢星である。七豎子(昴星)と八豎子(畢星)が一緒にあらわれるのは、プレアデスとヒヤデスが一緒になって牡牛座になるのと同じである。
 ギリシア神話ではプレアデス星団の七豎子は七人姉妹になっている。プレアデスはギリシア語で「船出する」という意味なのは、プレアデスの七つ星は、古代ギリシア人が航海した夏の季節に見られるからである。このように海にかかわることと、七豎子が海の伝承に登場することは無視できない。八豎子のヒヤデス星団は、ギリシア神話では五人または七人姉妹で、プレアデス星団とちがって日本とギリシアでは星の数は合わないが、「ヒヤデス」はギリシア語で「雨を降らす女」の意だから「畢星[あめふり]」というのと同じである。
 海神の娘亀姫の夫となった浦島子が竜宮城へ入るため、それまで亀姫の夫であった七豎子・八豎子の牡牛座が、竜宮城の門から外へ出されたのは、『備前国風土記』に載る牡牛が住吉明神に負ける話と同じである。浦島子は住吉明神と同じオリオン座の三つ星なのである。したがってどちらも海の話になっている。
 ギリシアや日本では、エジプトの地平線が水平線であり、星は海底(竜宮城)にいて天空に昇るとみられていたから、星が海にかかわる神話・伝承になっているが、単に環境の共通性だけでは、ギリシアと日本の星の神話の共通性の理由づけにはならない。しかし、住吉大社の筒男三神と同じに『丹後国風土記』の浦島子は筒川島子という。『万葉集』の巻二・五・十に「夕星[ゆふつつ]」を詠む歌が載るように、「つつ」は星をいうから、「筒川」は天の川のことで、浦島伝説に星の話があるのは当然である。浦島子が漁師[りょうし]であることも、猟師[りょうし]オリオンと重なる。さらに、『備前国風土記』『丹後国風土記』『八幡縁起絵巻』の住吉明神・浦島子伝承は、ギリシア神話のオリオン座・牡牛座の星の神話とあまりにも似ているから、これらの話は、ギリシア神話の伝播の可能性も考えられる。
 備前・丹後の両『風土記』に載る伝承は、いずれも海辺の伝承だから、海による交流の広がりによって、極東の島国にまで、地中海の神話が伝播したのかもしれない。