以下、上田秋成『春雨物語』(『新編 日本古典文学全集 78』小学館、1995年、p.464〜472)より。

 

*いちぶルビを省略しました。

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目ひとつの神
 阿嬬[あづま]の人は夷[えびす]なり。歌いかでよまんと云ふよ。相模[さがみ]の国小よろぎの浦人の、やさしくおひたちて、よろづに志ふかく思ひわた内部り、いかで、都にのぼりて、歌の道をまなびてん。高き御あたりによりて、習ひつへたらんには、「花のかげの山がつよ」と、人の云ふばかりはとて、西をさす心頻り也。「鶯[うぐひす]は田舎の谷の巣なりとも、だみたる声は鳴かぬと聞くを」とて、親にいとま乞ふ。「此の頃は文明、享禄の乱につきて、ゆきかひぢをきられ、たよりあししと云ふ」など、一度は諌めつれど、「しひて思ひ入りたる道ぞ」とて、したがはず。母の親も、乱れたる世の人にて、おにおにしきことそなけれ、「とくゆきて、疾[と]くかへれ」とて、いさめもせず、別[わかれ]かなしくもあらずて出でたたす。
 関所あまたの過書文[くわしよぶみ]とりて、所々のとがめなく、近江[あふみ]の国に入りて、あすは都と思ふ心すすめにや、宿とりまどひて、老曾[おいそ]の杜[もり]の木隠[こがく]れ、こよひはことにと、松がね枕もために、深く入りて見れば、風に折れたりともなくて、大樹の朽ちたふれし有り。ふみこえて、さすが安からぬ思ひして立ち煩ふ。落葉、小枝道を埋めて、浅沼わたるに似て、衣のすそぬれぬれと悲し。神の祠[ほこら]たたせます。軒こぼれ、御はし崩れて、昇るべくもあらず。草たかく、苔むしたり。誰[た]がよんべやどりし跡なる、すこしかき払ひたる処あり。枕はここに定む。おひし物おろして、心おちゐたれば、おそろしさは勝りぬ。高き木むらの茂くおひたるひまより、きらきらしく星の光ぞみれ、月はよひの間にて、露ひややか也。されど、「あすのてけたのもし」と独言[ひとりごと]して、物打ちしき、眠りにつかんとす。
 あやし、ここにくる人あり。背たかく、手に矛とりて、道分[ちわき]したる猿田彦の神代[かみよ]さへおもほゆ。あとにつきて、修験の、柿染[かきぞめ]の衣[ころも]肩にむすびあげて、金剛杖つき鳴らしたり。其の跡につきて、女房の、しろき小袖に、赤き袴のすそ糊こはげに、はらはらとふみはらからかして歩む。檜のつまでの扇かざして、いとなつかしげなるつらを見れば、白き狐也。其のと、わらはめのふつつかに見ゆる、是もきつねなり。やしろの前に立ち並びて、矛とりしかん人[びと]、中臣[なかとみ]のおらび声高らかに、夜まだ深からねど、物のこたふるやうにてすざまし。神殿の戸あららかに明け放ちていづるを見れば、かしら髪[がみ][おもて]におひみだれて、目ひとつかかやき、口は耳の根まで切れたるに、鼻はありやなし。しろき打着[うちき]のにぶ色にそみたるに、藤色の無紋の袴、禁は今てうじたに似たり。羽扇を右手にて持ちて、停みたるが恐し。かん人申す。「修験はきのふ筑石[つくし]を出でて、山陽道へ、都に在りしに、何某[2文字:なにがし]殿の御使してことを過ぐるに、一[ひと]たび御目[おんめ]たまはらばやと申して、山づとの宍むら油に煮とらしたる、又出雲の松江の鱸[すずき]二尾、是はしたがひし輩にとらせて、けさ都に来たり」と。あさらけきを鱠[なます]につくりてたいませつる」と。修験申す。「みやこの何がし殿の、あづまの君に聞えたち、申し合さるべきにて、御つかひにまる也。事起りても、御あたりまでは騒がし奉らじ」。神云ふ。「此の国は無やくの湖水にせばめられて、山の物、海のもの、共に乏し。たま物いせぎ、酒くまん」とおほす。わらはめ立ちて、御湯[みゆ]たいまつりし竈[かまど]のこぼれたるに、木の葉、小枝、松笠かきあつめて、くゆらす。
 めらめらとほの火[ほ]の立ち昇るあかりに、物の隈[くま]なくみわたさるる。恐しさに、笠打ち被[かづ]きねたるさまして、いかに成るべき命ぞと、心も空[そら]にてあるに、「酒とくあたためよ」とおほす。狙[さる]と兎が、大[おほい]なる酒がめさし荷[にな]ひて、あゆみくるしげ也。「とく」と申せば、「肩弱くて」と、かしこまりぬ。わらは女[め]、事ども執[と]り行ふ。大なるかはらけ七つかさねて、御前[おんまへ]におもたげに擎[ささ]ぐ。しろき狐の女房、酌[しやく]まゐる。わらは女[め]は、正木[まさき]づらの手[た]すきを掛けて、火たき、物あたたむるさま、まめやか也。上の四つを除きて、火五つめ参らす。たたへさせて、「うましまうし」とて、重ね飲みて、「修験、まらう人[ど]なり」とて、たまへり。
 さて、「あの[「木」の下に「公」][まつ]がね枕して、空[そら]ね入[いり]したる若き男よびて、あひせよといへ」とぞ。「召す」と、女房の呼ぶに、活きたるここちはなくて、はひ出でたり。よつめの土器[かはらけ]とらせて、「のめ」とおほす。是をのまずばとて、多くは好まねど飲みほす。「宍[しし]むら、膾[なます]、いづれもこのむをあたへよ」。「汝は、都に出てて、物学ばんとや。事おくれたり。四五百年前にも、師といふ人はありたれ。みだれたる世には、文よみ物知る事行はれず。高き人も、おのが封食[ふうじき]の地はかすめ奪はれて、乏しさの余りには、何の芸はおのが家の伝へありと譌[いつは]りて職とするに、富豪の民も、又ものの夫[ふ]のあらあらしきも、是に欺かれて、へい帛[はく]積みはへ習ふ事の愚[おろか]なる。すべて芸技は、よき人のいとまに玩[もてあそ]ぶ事にて、つたへありとは云はず。上手とわろもののけぢめは必ずありて、親さかしき子は習ひ得ず。まいて文[ふみ]書き歌よむ事の、己が心より思ひ得たらんに、いかで教へ姿のままならんや。始[はじめ]には師とつかふる、其の道のたづき也。たどり行くには、いかで我がさす枝折[しをり]のほかに習ひやあらん。あづま人は心たけく夷心[えびすごころ]して、直きは愚に、さかしげるは佞[ねぢ]けまがりて、たのもしからずといへども、国にかへりて、隠れたらんよき師もとめて、心とせよ。よく思ひへて社[こそ]おのがわざなれ。酒のめ、夜寒に」とぞ。
 祠[ほこら]のうしろより、法師一人出でて、「酒は、戒破り安くとも、又醒めやすし。こよひにあひだ、一つのまん」とて、神の左坐[かみくら]に、足高く結びて居たり。面は丸くひらたく、目鼻あざやかに、大[おほい]なる袋を携へたるを右に置きて、「かはらけいざ」と云ふ。女房とりて参らす。扇とりて「から玉や、から玉や」とうたふ声、めめしくはあれど、是も又すざまし。法師云ふ。「己[おのれ]は扇かざすとも、尾ふとく長きには、誰かは袖ひかん」。「わかき者よ、神の教へに従ひてとく帰れ。山にも野にもぬす人立ちて、たやすくは通さず。ここまで来たる事、優曇花[うどんげ]也。修験のあづまの使にくだるに、衣のすそにとりつき手とくかへれ。親あるからは、遠く遊ばぬ云ふ教へは、東の人も知りたるべし」とて、盃さす。おのれは「さか魚[な][もの]臭し」とて、袋の中より大なる蕪根[かぶらね]をほしかっためしを取り出でて、しがむつらつき、わらべ顔して又懼[おそろ]し。「いづれの御心も同じく聞こえ知らせたまへば、都にはあすとこころざしたれど、上[のぼ]らじ。御しるべにつきて、文よみ歌学ばん。小ゆるぎの蜑[あま]が目ざす道は、栞[しおり]得たり」とて喜ぶ。かはらけ幾回[いくまはり]か巡らせたれば、「夜や明けけん」と申す。かん人[びと]も酔[ゑ]ひたるにや、矛とり直して、物まうしの声、皺[しわ]ぶる人なれば、をかしと聞こえたる。
 山ぶし、「いざいとま賜はらん」と、金[こん]がう杖[づゑ]とりて、若き者に、「是に取りつけよ」といふ。神は扇とり直して、「一目連[いちもくれん]がここに在りて、むなからんや」とて、わかき男を空にあふぎ上ぐる。猿とうさぎは、手打ちてわらふわらふ。木末[こずゑ]にいたりて、待ちとりて、山臥[やまぶし]は飛び立つこの男を腋[わき]にはさみて、飛びかけり行く。法しは、「あの男よ、あの男よ」とて笑ふ。袋とりて背におひ、ひくきあしだ履きて、ゆらめき立ちたるさま、絵に見知りたり。かん人と僧とは人也。人なれど、妖[えう]に交りて魅せられず、人を魅せず、白髪[しらが]づくまで齢[よはひ]はへたり。明けはなれて、森陰のおのがやどりにかへる。女房、わらはは、かん人の「ここにとまれ」とて、いざなひ行く。
 この夜の事は、神人[かんびと]が百年を生き延びて、日なみの手習したるに、書きしるしたるがありき。墨くろく、すぐずくしく、誰が見るともよく読むべき。文字のやつしは、大かたにあゆまりたり。己はよく書きたりとおもひしならめ。

p.471頭注
15 馬琴の『羈旅漫録』下に、桑名の多度神社の相殿に太刀一振りを神体とする一目連を祀ると記す。『市井雑談集』は、大風を起こす竜神とする。桜山本には「目一ツの神のまなこひとつをてらして海の内を見たまふに」とある。隻眼の神には、晩年月を患った作者自身の面影が宿されており、この分身たる神に、作者の戯画をみる説が早くから行われている。