以下、大和岩雄『神社と古代民間祭祀』(白水社、2009年)から引用です。

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大洗磯前神社・酒列磯前神社――海から依り来る神とミサキ神

大奈母知少比古奈命

p.234
『延喜式』神名帳では、諸本によって社名表記に若干の相違はあるが、鹿島郡に「大洗磯前薬師菩薩神社名神大」、那賀郡に「酒列磯前薬師菩薩神社名神大」とある。式内社で「菩薩」という仏教的な名をもつ神社は、他に筑前国糟屋[かすや]郡の「八幡大菩薩筥崎宮名神大」と豊前国宇佐郡の「八幡大菩薩宇佐宮名神大」の2社だけである。


p.235
 金沢庄三郎、三品彰英、大林太良によれば、「オホナ」「スクナ」は「大」「小」の対を意味し、「ナ」はアルタイ語系の土地を表わす言葉で、生・成を意味するという。私もこの見解に賛成する。


p.235〜236
 和魂は「足魂[たりたま]、「荒魂」は「生魂[いくたま]」ともいい、荒魂・生魂は生まれたばかりの魂で、これがスクナであり、オホナは和魂・足魂で、成長した魂である。
 鎮魂祭の招魂[たまふり]は生魂、鎮魂[たましずめ]は足魂で、この2つを総称して「鎮魂祭[たましずめのまつり]」というように、オホナ(「ムチ」「モチ」は敬称)とスクナ(「ヒコ」も敬称)は、「荒魂・和魂」「生魂・足魂」「招魂・鎮魂」といった対照的神格の2神、あるいは連称で1神としいて書かれている。松村武雄も、「両神は本源的には同一存在の2つの現れである」と推論する。
 国造りの神としての「大奈母知少比古奈命」の「大奈母知」は和魂、「少比古奈」は荒魂であり、その和魂と荒魂を、『古事記』と『日本書紀』は別々に書き、『万葉集』『風土記』『文徳実録』は合体した形で書いているのである。



「ミタマノフユ」と冬至と常世
p.238
 『文徳実録』斉衡3年条によれば、国造りを終えて東海の彼方に去った「大奈母知少比古奈命」が再び帰って来たのは、民[たみ]を済[すく]う(済民)ためだったという。『日本書紀』(1書の6)は、
  大己貴命と少彦名命と、力を勠せ心を一にして、天下を経営る。復[また]顕見[うつしき]蒼生[あをひとくさ]及び畜産[けもの]の為に、其の病を療[をさ]むる方[みち]を定む。又、鳥獣・昆虫の災異を攘[はら]はむが為に、其の禁厭[まじなひや]むる法を定む。是を以て、百姓[おほみたから]、今に至るまでに、咸[ことごとく]に恩頼[みたまのふゆ]を蒙[かがふ]れり。
と書く。「済民」とは、民衆に「ミタマノフユ(生命力)」を受けさせることである。


p.239
 正月とは、古い年が去って海の彼方(常世)から新しい年が来ることであり、その具象化が初日の出である。

p.239
 大奈母知少比古奈命は東海から来たが、東海は常世の意である。常世は沖縄では、海の彼方にある「ニライカナイ」のこととみる。「マレビト」は、この常世・ニライカナイから来ると、折口信夫はくりかえし述べている。来る日は主に正月である。冬至は、太陽の死と再生のときで、1年の終わり(死)と始まり(再生)であった。暦のない、いわゆる自然暦の頃は冬至が正月であったから、常世の神は冬至に来た。この古代の観念が、斉衡3年の常世神の来臨にも現れているのである
 「マレビト」としての常世神は「済民」のために来た。前述のように、「済民」とは「恩顧[みたまのふゆ]」のことだが、それは「御魂の殖[ふ]ゆ」である。冬至から日照時間は次第に長くなっていく。冬に至ることは「殖ゆ」の開始で、終わりは始まりである(冬が「殖ゆ」であることは、『折口信夫全集』の各所で述べられている)。この始まりの冬至に常世の神が海から依り来るのは、「殖ゆ」の生命力をもたらすことが「済民」になるからであろう。