以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。

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熱田[あつた]神宮――草薙剣と尾張氏と八岐大蛇神話

草薙剣の伝承

p.169
 『日本書紀』も、景行天皇51年8月4日条で、次のように書く。
  日本武尊[やまとたける]の佩[はか]せる草薙横刀[くさなぎのつるぎ]は、是今[これいま]、尾張国の年魚市[あゆち]郡の熱田社に在り。

p.169〜170
 『古事記』と『日本書紀』本文によれば、宮中にあった草薙剣は八岐大蛇[やまたのおろち]の尾の中にあった剣で、素戔嗚[すさのを]尊から天神(天照大神)に献上されており、『古事記』と『日本書紀』1書の1によれば、献上された草薙剣は天孫降臨のとき、天照大神が瓊々杵[ににぎ]尊に与えている。これらの伝承によれば、草薙剣の所持者は、
  八岐大蛇→素戔嗚尊→天神(天照大神)→瓊々杵尊→倭姫→日本武尊→宮簀(酢)姫
となり、場所でいえば、
  出雲→高天原→皇居→笠縫邑→伊勢神宮→尾張連家→熱田神宮
となるが、「皇居→笠縫邑→伊勢神宮」と記しているのは『古語拾遺』のみであり、『古語拾遺』は、笠縫邑に移したあと、皇居に置く神宝を新しく作ったとして、次のように書く。
  更に鏡を鋳、剣を造らしめて、以て護の御璽と為す。是、今践祚す日に、献[たてまつ]る神璽の鏡・剣なり。
 このような『古語拾遺』の書き方に対して、『古事記』と『日本書紀』では、八岐大蛇の尾の中から出てきた剣と日本武尊の草薙剣との間に一貫性がなく、『古語拾遺』のような、2つの剣をつなげるような記事もない。
 『日本書紀』(一書の2)は、素戔嗚尊が八岐大蛇を斬ったとき、尾の中にあった剣について、次のように書く。
  是を草薙剣と号く。此は今、尾張国の吾湯市村に在す。即ち熱田の祝部[はふりべ]の掌[つかさど]りまつる神是なり。


p.171
八岐大蛇の尾の中から出てきた剣と、日本武尊が置いていった剣は、別のものと考えられる。


本宮と別宮と神体の剣
p.171
 熱田神宮にあった日本武尊の草薙剣は、盗難にあっている。
 [略]
 盗まれた「本宮神剣」は戻ってきたが、本宮に祀られず、別宮八剣宮を建てて祀られたというのである。 

p.172
 垂加神道の学者玉木正英が書いた『玉籤集』の裏書に、熱田神宮の神官杉岡正直らが元禄時代に見た神体の実見談が次のように記されている。
  [略]御神体は長さ二尺七八寸計り、刃先は菖蒲の葉なりにして、中程はむくりと厚みあり、本の方六寸許は節立て魚などの背骨の如し、色は全体白しと云々

p.172〜173
 この記事を紹介した考古学者の後藤守一は、「刃先は菖蒲の葉なりにして」とあるところから、「大刀身でなく、剣身」とし、「剣身であるの故を以て、弥生時代か又は古墳時代前記の頃のもの」とみる。そして、「色は全体白し」とあるから鋳造された白銅製の剣で、「本の方六寸許は節立て魚などの背骨の如し」とあるから、福岡市の聖福寺蔵銅剣の柄部の形に似ていると書く。また、長さが「二尺七八寸計り」は、銅剣が一般に「一尺にも満たないものばかり」だから、「古代日本のものとしては稀有のもので」、それゆえ「神器の一つとなったのだろう」と推測し、結論として、「この柄に節状の隆起があるというのは、鉄剣には絶対ない形式であることからいっても、そして全体が白いという記事からいっても、これが銅剣であることは確かである。そして、これが銅剣である以上弥生時代のものであることも確実であり、古墳時代のものではない」と書いている。
 また窪田蔵郎は、「これは明らかに有柄形式の青銅剣である」と書き、福岡県前原町三雲出土の細形銅剣をあげている。この銅剣は、後藤守一が例示する銅剣と同じものである。


熱田神宮の神体の銅剣と尾張氏
p.174
 八岐大蛇伝説は、鉄の十握剣が銅の十握剣に勝った話であろう。

p.175
 『日本書紀』は、神武天皇即位前紀に、
  高尾張邑〈或本に云はく、葛城邑といふ。〉に、赤銅[あかがね]の八十梟帥[やそたける]有り。此の類[ともがら]皆天皇と距[ふせ]き戦はむとす。
と書く。この話もアカガネタケル(銅剣)をクロガネタケル(鉄剣)が討った話であろう。神武天皇を「日本磐余彦[やまといわれひこ]というが、日本武尊が西国・東国のヤソタケルを討ったのに対し、日本磐余彦はヤマトのヤソタケルを討ったことになる。赤銅のヤソタケルのいた場所が高尾張邑であることからみても、尾張と赤銅の結びつきが推測できるが、剣という観点からすれば、八岐大蛇の伝承は、新しい技術(製鉄)が古い技術(精銅)に勝った話といえよう。


「尾羽張」の剣と「尾張」

p.177
 八岐大蛇から出た都牟羽剣([略])は草薙剣といい、伊邪那岐神が加具土神を斬った天(伊都)尾羽張は十握剣というが、両者は次のように対応する。
  都牟羽剣(草薙剣) 素戔鳴尊――天照大神――倭姫命――日本武尊
  天尾羽張(十握剣) 伊邪那岐尊――建御雷神――高倉下命――神武天皇


天香語山命・天村雲命・天迦久神

p.178
「高倉下[たかくらじ]」は、『旧事本紀』天孫本紀に天香語山命の亦の名として載る「手栗[たぐり]彦命・高倉下命」である。高崎正秀は「手栗彦命」の「タグリ」について、「たぐりと云ふからには、伊弉冉神の嘔吐[たぐり]になりませる神、金山毗古、金山毗売神を想起せずには居られない。鉱山の偶生神を嘔吐云々と云ったのは、即ち冶金の際の金滓の見立てなのだ」として、天香語山命を「鍛冶神」と考えている。
 記・紀が、「嘔吐[たぐり]」から生まれた神を金山彦・金山姫とするのは、「嘔吐」が鉱石を火で熔かした状態と似ているからである。だから、天香語山命は「鍛冶神」というよりも、「鉱山神」であろう。
 天香(具・語)山の「金[かね](『日本書紀』)、「鉄[かね]」(『古事記』)、「銅[かね]」(『古語拾遺』『旧事本紀』)を採って鏡(『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『旧事本紀』は鏡と書くが、紀1書の1のみが日矛とする)を作ったとあるが、「カネ」は鉄・銅を含めた金属の意である。『日本書紀』の「金」も金山彦命の「金」も金属の意だから、「カネ」を産する香(具・語)山を名とする尾張連の祖神は、金山彦神と同性格といえよう。


八岐大蛇を斬った剣と石上神宮
p.180
 『日本書紀』(1書の2)は、八岐大蛇の尾から出てきた剣(草薙剣)を「熱田の祝部の掌[つかさど]りまつる神是也」と書き、つづいて、
  其の蛇を断[き]りし剣をば、号けて蛇の麁正[あらまさ]と曰[い]ふ。此は今石上[いそのかみ]に在り。
と書く。2つの剣を、熱田と石上にあると書いているのは、この一書の2のみである。
 また一書の3は、尾張国と吉備の神部に在るとし、『日本書紀』本文や『古事記』のように、「天神」「天照大神」に献上したとは書いていない。たぶん、一書の2と3の記事が本来の伝承で、天神献上の記事は、日本武尊の草薙剣と結びつけるために、あとで作られたのであろう。
 そのことは、八岐大蛇を斬った剣を『日本書紀』の一書の2が「蛇[おろち]の麁正[あらまさ]」、一書の3が「蛇[おろち]の韓鋤[からさひ]」と書くのに、『日本書紀』本文は「十握[とつか]剣」、『古事記』は「十拳[とつか]剣」と普通名詞化して書いていることからもいえる。
 一方、韓鋤剣は朝鮮渡来の神宝であって、現在、石上神宮の神宝になっている、百済渡来の七枝刀と同じような扱いであったろう。[略]



出雲と尾張氏の結びつき

p.182
尾張氏と出雲の接点に葛城鴨の神アヂスキタカヒコネがいること、熱田神宮とかかわりの深い阿遅速雄神社の所在地が摂津であること、尾張氏が海人と深い関係にあることは、古代伝承の回路を推測するうえで無視できない視点となろう。