以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。

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粒坐天照[いいぼにますあまてらす]神社――火明命と穀霊と鍛冶

火明命と穀霊
p.84
 『延喜式』神名帳の播磨国揖保[いいぼ]郡に「粒坐天照神社〈名神 大〉」とあり、現在は竜野市竜野町日山に鎮座する。
 社伝によれば、推古天皇2年(594)正月1日、関村(現在の兵庫県竜野市小神)の長者、伊福部[いふくべ]連駁田彦[ふじたひこ]邸の裏にある杉社の上に、異様に輝くものが出現した。それは容貌端麗な童子と化し、天照国照彦火明命の使いだといい、駁田彦に稲種を授けた。その種を水田に播くと、一粒が万倍になって、以後、この地は播磨の穀倉地帯となったという。
 伊福部連駁田彦の邸の裏にある杉社の上とは、的場山を指すが、当社はその的場山の山頂付近に奉斎されていた。現在、そこには奥宮(天津津祀[あまつつみ]神社)がある。「童子」が火明命の使いとして現れたとあるが、『播磨国風土記』の火明命は、大汝[おおなもち](大己貴命・大国主命)命の子で、「チイサコ」的性格である。
 『日本書紀』は、大己貴命(大国主命・大汝命)と共に国造りをする少彦名命を、「最悪[いとさか]しき子」と書くが、『風土記』は火明命を「悪[さが]しき子」と書く。少彦名命の伝承は、『播磨国風土記』揖保郡稲種山や、『出雲国風土記』飯石郡多禰[たね]郷の条では、「稲種」や「種」の地名起源説話として記されているが、当社の社記では、火明命が童子を使者として稲種を与えたとあり、火明命と少彦名命は、穀霊(種)として重なっている。「粒坐天照神社」の「粒」も「飯粒」である。

p.85
 彦火火出見尊(『日本書紀)を高日子穂穂手見命(『古事記』)とも書くように、「火」は「穂」でもある。


伊福部氏と倭鍛冶と秦氏

p.86
 「イフク」「イフキ」は、息を吹く、もしくは風を吹く意味の「息吹[いぶ]き」で、伊福(五百木・気吹・盧[ママ]城)部は、金属精練のために踏鞴[ふいご]を使う氏族といわれている。