以下、谷川健一『鍛冶屋の母』(河出書房新社、2005年)から引用です。

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弁慶

p.120
 ここに母が妊娠中に鉄を食べる話が出てくる。それは生んだ子が鉄人ということの前提となるのである。「弁慶之由来」は一名「武蔵坊弁慶願状写」ともいわれるそうであるが、その中でもっとも注目されるのは、弁慶は13ヵ月して出生したが、そのとき歯は二重に生え、左の肩には大天狗という文字があり、色は黒く、全身が鉄のようであったが、4寸四方の肌だけが人間の膚[はだ]であった、という箇所である。これこそ弁慶が鉄人である証拠にほかならない。[略]

p.124
 乗岡憲正氏の『古代伝承文学の研究』によれば、金売吉次、吉内、吉六の兄弟をはじめとして、中世の鋳物師や咄[はなし]の者には「吉」を名乗るものが存外に多いという。「吉」をまた「橘」とも記している。炭焼藤太には橘次、橘内、橘六の3人の子供がいた。「吉」を名乗る鍛冶屋や鋳物師が持ち歩いた話の1つが弁慶にまつわる物語であったことは、その物語のなかに「吉」の名のつく人物が登場していることで推測できる。
 また、弁慶伝説を広めるのには熊野山伏も一役買ったにちがいない。『神道集』の「熊野権現の事」の中には五衰殿[ごすいでん]の女御[にょご]が首を切られたあと、みなし子となった王子を虎が3年間も守護しつづけたという話を載せているが、『弁慶物語』では、弁慶は生まれてまもなく熊野の山中に捨てられるが、野獣に守られて育つという話になっている。山中棄児の話は熊野の信仰とつながっている。また「熊野権現の事」には、熊野権現の別名を鋳物師明神[いもじみょうじん]ともいうとある。熊野山伏はこの鋳物師明神の神人[じにん]で、彼らはつねに斧をを肩にかけるという。弁慶の七つ道具にも、斧がはいっているが、斧は鍛冶や鋳物のシンボルである。(注1)

p.129
注(1) 金時もマサカリをもっている。藤沢衛彦によると、金時のマサカリはインド神話のインドラ、スカンジナビア神話の雷神トールがもつマサカリや槌[つち]と同様に、中国の雷神もこれをもち、それが古代日本の思想にもうけ入れられていたものであるという。一方『木葉衣[このはごろも]』によると、山伏が斧をもつのは山林に分け入って荊棘[いばら]を払い、あるいは柴や薪[たきぎ]を伐[き]って供給するためのものであったと記している。


p.125
 弁慶の名は『吾妻鏡』に2ヵ所出てくる。1つは文治[ぶんじ]元年(1185)11月3日の項で、西国[さいごく]に落ちようとする義経主従の中に弁慶法師の名が見える。また同月6日の項には、義経が大物[だいもつ]の浦から船出したが逆風に出合ったので引きかえし、従者も四散したという記事があり、わずかに残った4人の中に武蔵房弁慶と、義経の妾[しょう]の静御前[しずかごぜん]がふくまれていたことが報じられている。
 しかし、これ以外に確実な史料の不足していることから弁慶の実在を疑うむきもある。またかりに実在したとしても、弁慶という人物と、それにまつわる弁慶伝説はおのずから区別する必要がある。それは、『吾妻鏡』に記された柏原弥三郎[かしわばらやさぶろう]と伝説の中の伊吹の弥三郎との関係と同様である。つまり、鉄人伝説は実在の人物と無関係に日本にもたらされ、大鍛冶小鍛冶の連中の間で、それは鍛冶神の話として伝えられていた。それがいつの間にか、あばれ者とむすびつき、習合をとげていったものと判断される。
p.125〜126
 『吾妻鏡』に記載されているから、その人物が先行するというふうに考えるわけにはいかない。つまりあばれ者の人物のイメージがふくらまされて、そこからさまざまな伝説が派生するというのではなく、伝説はそれ自体別個に存在したと私は考える。鉄人伝説という古いパターンがまずあり、柏原弥三郎、平将門、弁慶などの、無法で反逆的なあばれん坊にそうした伝説をまといつけ、各地に広めていく山伏や鍛冶師の集団があった。一般大衆もそうした伝説の流布に手を貸したことは大いにありうる。


p.127〜128
弁慶の出生地はさまざまに語られているが、その1つに紀州田辺がある。田辺には古くから弁慶松と称するものがあった。弁慶が衣川[ころもがわ]で討死[うちじに]したことを記念して植えたという伝承をもつ松である。田辺に居住していた南方熊楠は弁慶松について次のように記している。

  昔から奥州から熊野に参詣する連中は、その松の落葉を拾いもってかえる。瘧[おこり]をおとすにきき目があるという。その近所に弁慶が産湯[うぶゆ]を使ったという井戸があったが、維新後つぶしてしまった。いつのことかはっきり分からないが、その弁慶松のすぐ近くの家の大工が、ふつうの鉋[かんな]の2倍も大きいものを使用するほどの剛力[ごうりき]であった。その妻が子を生むと非常に大きな歯が生えており、握った手を開くと弁慶の2字があった。そして生まれてすぐ走りまわることができた。こうした鬼子[おにご]を活かしておいたら両親が危険になるといって、そのまま殺してしまった……云々。

 この話をみると伝説の成長する過程がよく分かる。弁慶松の近くに住むというだけで、大きな暗示にかけられるが、そこに生まれた子が弁慶の字を手のひらに記していたというのもその1つである。また大工とか鉋が出てくるのも、鉄人の母が鉋を妊娠中に食べたという鉄人伝説のパターンが背景にあるからであろう。そして弁慶出生の伝説をそのままなぞって、殺してしまったというふうになっている。