以下、今野圓輔「妖怪」(『日本民俗学大系第8巻』平凡社、1959年、小松和彦責任編集『怪異の民俗学② 妖怪』〔河出書房新社〕所収)から引用です。
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はしがき
 一般に、目には見えない神霊をおそれていた時代には、モノという総称があったらしいことは、近ごろのバケモノは別としても、モノツキ・モノグルイ・モノノケなどの語からも推測でき、沖縄のマジモノもまた、この系統であろう。現在の児童語としてのオバケには、人間の個人的な霊魂現象である、いわゆる幽霊現象が主内容として包含されるようになったが、民俗学上では、この種の人間――とくに何某の霊というような――死霊・生霊現象は含ませていない。また、なんとなく恐ろしい話をひとくくりにして怪談という通俗語で表現するような言いくせは、畏怖すべき現象の輪郭がすでに不鮮明になっていることを示している。このような漠然たる恐怖の対象――妖怪――は、時代をさかのぼるほど少なかったにちがいない。神霊に対する前代のような強い信仰がほとんど消滅しかけている現在では、心理的な恐怖の念は、きわめて漠然たるものになってきているが、古くは妖怪現象の背後に神霊に対する畏怖があり、妖怪現象には定型があったために、それらは漠然たるものではなくて、さけようとすればすなわち避けることの可能な、かなりはっきりした個々の対象だったのである。


一 妖怪の内容
 1 総称
 妖怪・変化・魑魅魍魎というようなことばを、常民が日常語として口にしていた気づかいはなかった。いまのバケモノにあたる妖怪の総称としては、鹿児島県のガモ、長崎県のガモジョ、和歌山県熊野地方のガモチ、岐阜県のガガモのような名称、および東日本に広いモー系統などが多い。柳田国男氏によれば、いずれも、もとは、「モー」とか「かむぞう」と叫びながら出現すると信じていたことからの命名だったろうと解説されている。実際にバケモノはモーと鳴いて出てくるものだという採集資料もあり、犬を児童語でワンワンというのとまったく同じように、福岡県ではワンワンまたはバンバン、熊本県玉名郡ではワワン、鹿児島県ではガモのほかに「ワンが来る」ともいっているのである。(柳田国男氏『妖怪談義』)青森県弘前市付近の子守り歌に、
  泣けば山からモウコ来る
   泣けば里から鬼来るァね
というのがあり、また同地方の別な子守り歌にも、
  寝ろちゃ寝ろちゃ 寝たこえ
   寝ねば山から モウコ来るァね
(日本放送協会『東北民謡集』)
というのも報告されている。


 3 特徴
 妖怪の往来する時刻がカワタレ・タソガレの暁闇・夕暮が多く、活躍する時間のかぎりが逢魔がどきから鶏鳴暁を告げるまでというのが多いのは定型のひとつであるが、出現するときの異常な雰囲気についても、なまぐさい風が吹く、冷たい風が吹く、急にあたりが暗くなるなどとは、よくいわれていることである。この異常な風については後述するが、出現するとぞっとする、寒気がする、総毛立つなどもまた恐怖が人間の生理におよぼす共通した経験にちがいない。[略]




二 神々から妖怪へ

 1 魔風

 長崎県の五島で憑きもののことをカゼといい、憑かれた現象をカゼを負うといっており、同地方の久賀島では、通り風に会うと気ちがいになるとも信じている。鹿児島県出水郡大川内村(現・出水市)内の道の曲り角などには、夜中によくなまぬるい風が吹くことがあって、そんな風にあたると病気になることがあるという。また同県肝属郡には「魔が通る」という語があって(『肝属郡方言集』)、この魔風に会うと人馬ともに害を受けると信じられている。奄美群島でスキマカゼ、ずっと離れた東北の岩手県九戸郡山形村でハカゼといい、関東では安房の千倉町でミカゼというのも、三本道などでよく会う人間の気分を悪くさせる風のことである。思いあたることもないのに腕や足がはれたり痛んだりする原因を静岡県浜名郡あたりでは「悪い風にでも、あたったのではないか」と解釈するし、山口・大分県で信じられているミサキカゼもまた、これに会えば急に悪寒をおぼえる風である。われわれの連想は、当然に空を吹く天然現象としての風と、生理的な病気としての風邪にのびていかざるをえないであろう。


 2 通り神・ミサキ
 カマイタチは3人の神という地方がある一方で、7人の魔神が、風のように吹いてくると、そのまん中のモノに吹きあてられた人は打ち倒され、また炎[ほのお]となって空中を歩くと信じられている山口県大津郡大浦地方のアラミサキがある。カマイタチやノガマのようには、直接には傷は負わされないが、わが国には、通り神・行き会い神の信仰は、いまだに根強いものがあって、たとえば福島県相馬市では、12月8日の早朝に、うっかり出て歩くと、アッというように転倒することがある。こんな経験を同地では「カミアイに会った」といい、会津若松市あたりでも、突然に足を踏みちがえると、同じように、「カミアイに会ったのじゃあないか」という。
 つまり、わが国の常民にごく親しい神々のなかには、年中一所に定住しているのではなくて、とかく遊行し、歩きまわる性質――そういう信仰――があることを証明しているのである。
 このような日本の神々の性質は、かんたんには移動できない社殿の造営という傾向が、だんだんに流行するようになってから、よほど弱められたものとみられ、合理的な解釈が好まれるようになると、社殿があるには、そこに常在していらっしゃるのだ、だから、神祭はそこへ行って行なうのだということになってくるのは自然である。このことは、本来は死の穢[けが]れの充満しているはずの、死骸の埋め墓に、半永久的な石の碑を建立するようになったために、いつも墓石の下には、われわれの祖霊がいるのだという信仰が助長したのを似ている。

 さきにもふれた一つ目小僧などは、読書によってばかり教養を高めようとする都会の人びとは、空想上の百鬼夜行絵巻などの人口のひとつぐらいにしか考えていないかもしれないが、大都会からほんのひとまたぎの周辺、武蔵・相模の村々などには、いまなお時を定て家々を訪れてくる神霊めいたモノとして信じられているのである。ありがたき神としては崇敬していないまでも、ともかく呼び棄てに小僧よばわりすることをはばかって、サマという敬称を棄てきっていないことは、昔話のハナタレ小僧サマなどと共通している。いわば正式なる神と妖怪との、ちょうど中間に位置している存在ということもでき、火柱を立てるぐらいしか能のないイタチ族や、ただ大きいというだけの大入道のごとき境遇にまでは堕落したいないものというべきであろう。ともかく、相手の目ひとつなのに対して、こちらは目数のぐんと多い目籠ザルを庭中に高々と掲げて逆に恫喝せんと試みたり、グミの木を燃やすことによって、屋内をのぞかれるのを防御しているのは、この巡回し、訪問してくる一つ目小僧サマへの人間の側の対抗策にほかならない。

 それはまた、おそらくは土着在来の神であったろうと思われるオニと呼ばれる巨人の妖怪が、1年のさかいに家々を訪問するのを追い払うために、トゲの多いヒイラギの葉ばかりか、こんないやな臭気はきらいだろうと、ニンニクやイワシの焼きかがしを戸ごとにさし、豆をもって「オニはそと」と、どなる年中行事と斬を同じくするものである。ウブメの百人力を授けた例や、河童が角力をとって負かされ、伸縮自在なはずの腕を切られたのを恨むどころか、仇敵のはずの人間に傷薬の処方を授けるなど、もともとは人間に恩寵を垂れ、機会あれば幸福を約束しようとする性質のあった神々ではあったのだが、人智の発達するのにつれて、素朴な前近代的な神々への不信の念ばかりが強くなったこと、つまり人間の力が自然を制御していくのと並行して、われわれの身近の身分低き神霊は、人間の智恵によって反対に征服されていく形がもてはやされてくることとなる。そしてそのような形は民間文芸における昔話などにも濃厚に見ることができる。猿聟入りの猿が臼をしょわされれて流され、蛇聟入りの蛇のひそかなる親子の会話が、さかしい人間の知るところとなってヨモギ・ショウブの湯によって葬り去られてしまうモティーフなどがそれである。怪異現象に際会しても、おかしいと感じたら、まず路傍の石に腰かけて一服してみると、眼前のヌリカベが消えてしまうなどといったり、闇夜にすかしてみて、着物の縞目がはっきりと見えたら化性のモノだから、気をつけろなどと教えあう人間ばかり多くなって、キャッともウワッとも驚かなくなっては、妖怪の恐怖はもはや、よほどの臆病者か児童以外には感じられなくなるわけである。

妖怪とは無縁のようであるが、近代的な大建築に先立って注連[しめ]を張って土地の神をなごめ、承認を求めるとか、鉄橋の渡り初めを神職が司祭し、鬼門を信じ、まわり金神のタタリを恐れるような現象が、実は妖怪文化の一基盤をなしているのである。

 わが国の神々にはまた、大神・主神に付属する従属神・小神が信じられていて、山ノ神の使徒がオオカミであったり、農耕をつかさどる神の従属神としてはキツネなどが信じられていた。ミサキとよばれているものが多く残留しており、ミサキ神の信仰はいまなお全国に根強く生きている。カラスもまたミサキの一種と信じられているからこそ、カラス鳴きを死の前兆・予告ではないかと気にしていたのであり、年頭にあたって、作物の豊凶をうらなうにもカラスダンゴを利用し、カラスを招いて、そのついばむところをうかがいもしてきたのであった。妖怪に鳥や獣類が多く主役を演じているように信じられるようになった大きな原因には、この主神のメッセンジァーとしての動物たちの存在があったにちがいない。