今回は墓ドロボウのおはなしです。

 

というか、インディ・ジョーンズ的世界???」

 

以下、太刀川清=校訂、『百物語怪談集成(叢書江戸文庫2)』(国書刊行会、1987)より引用です。

--

p.160~163
    石塚(いしつか)のぬす人(びと)付タリ鉄鼡(てつそ)砂をふらせし事

 往昔(いにしへ)神功皇后(じんぐうくわうごう)を葬り奉りし狭城(さき)の盾列(たけなみ)の陵(みさゝぎ)は、今の和州歌姫(うたひめ)の地にして上古(そのかみ)成務天王を治め奉りし池後(いけのうしろ)の陵と相(あい)並(ならべ)り。俗(ぞく)呼(よん)で皇后の陵を大宮と名づけ、成務の陵を石塚(いしつか)とす。猶そのころの凶官(けうかん)大連(たいれん)の住みける跡も、土師村(はしむら)陵村(みさゝぎむら)と名に残りて、千歳(ざい)の今に及べども失せず。百王の世々を動きなく遠く見そなはし給ふとの神慮も、いちじるく成務神功孝謙三代の陵墓巍々(ぎゞ)としてつらなり、雨土くれを動かさず、風枝をならさずして、松は年毎の緑ふかく、雲は石塚より出でて慶びの色をたなびけりとぞ。こゝに火串(ほくし)の猪七と云ひしは、吉備中山(きびのなかやま)に隠れ住みて、年久しき盜賊の張本なり。彼がすむ山は備前備中に跨りたれば、両国の支配たる故、制禁も疎かなるを頼みて、ある時は武蔵野の草に臥して江戸の繁栄に欲をおこし、又は北国船(ほくこくぶね)に身をひそめては津々浦々の旅客(たびゞと)をなやめ、命を幾度か虎の口に遁れて立ち帰る。春は都の町々に窺ひありき、花の名残りを大和路にかゝり、故郷の空なつかしく急ぎけるに、此歌姫の宿泊り迄、組下の与力ども二十人ばかりを引き具し、こゝかしことおびやかし、伐(き)り取り強盜に心をくだくといへども、上方の辺(へん)は人賢(さか)しく安きに居れども危きを忘れず。常にたのしめども、萬(よろづ)に心をくばりて用心きびしき所なれば、此程さま/゛\と手を尽しつるも徒(いたづ)らになり。うちつゞきたる不仕合せに、いでや祝ひなをして、道すがら帰りがけの設(まふけ)せんと、猪七が一党、うちこぞりて一夜(や)酒のみあかしける。序(ついで)に猪七いひけるは、「いざや者ども、此むらにありといふ陵を掘りかへし、様子よくば今よりして東国北国に指しつかはす眷属どもの宿りにもすべし。且(かつ)は予が出張(でばり)の地にも可然(しかるべ)き所ぞかし。幸ひ此陵山(みさゝぎやま)は三代帝王の墳墓なり。中にも大宮は神功皇后の陵にて四方にから堀を構へたるも要害のたよりすくなからず。与力の者とも面々に力をはげまし掘りかへせ」といへば、「我も我も」と鋤鍬(すきくわ)をたづさへ、先づ石塚に取りかゝりぬ。比(ころ)は卯月のはじめの七日、宵月(よひつき)いりてより胴(どう)の火さし上げ、手毎(てごと)にいどみて掘りけるに、始(はじめ)の程は四方ともに石を以て築きこめたるを、漸(やう/\)として此石を掘りすてしかば何所(いづく)ともなく、鉄(かね)の汁(しる)、湧き出でしを、猪七下知(げぢ)して、土砂を持ちかけさせ、泥となしてかへほしたれば、其おくは大きなる石の門ありて鉄(くろがね)の鎖(でう)をおろしたるを、胴突(どうつき)をもつて打ちはづし、門をひらいて込みいらんとする所に、何ものゝ射るとはしらず門の内より矢を射出す事雨のごとくにみだれかゝれば、いさみすゝみし盜賊とも七八人やにはにたふれ死する者もありければ、此ふしぎ気をとられ、しばし、しらけてひかへたるを、猪七は、もとより不敵ものにて、かやうの怪異(けい)にあへども事とせず、余党どもを叱りて云ふやう、「死して久しき人を治め、年またいくばくの月日を積みたるふる塚なり。狐狸の臥処(ふしど)にもあらねば、是れしばらく上古(じやうこ)の人の、塚を守らんために仕かけ置きし操(からくり)ぞや。皆立ち退きて石を投げよ」と、声をかくれば手毎(てごと)に礫(つぶて)を以て投げいるゝに、石に随ひて矢を射だす事、数刻(すこく)にして、やがて矢種も尽きぬと見えし時、「入れや者ども」と、一同にこみ重(かさな)り胴の火ふき立てて、第二の門にとりかゝり、石の扉(とびら)をはねあぐれば、又、甲冑(かつちう)を対せし武者、門の左右(さう)に立ちふさがり、打ち物のさやをはづし、眼(まなこ)をいらゝげ面(おもて)もふらず、無二無三に切りまはるを、猪七是れにも猶恐れず、「鍬の柄(ゑ)鋤の柄を取りのへ敲(たゝ)きおとせ」と、下知せられ盜賊どもかけふさがり、橫ざまに薙ぎたつれば、太刀(たち)長刀(なぎなた)こと/゛\く持ちもこたへず落されたり。よくよりて見るに悉く木にて刻(きざみ)たる兵の人形なり。時こそ移れとみだれ入り、殿上(てんじやう)とおぼしき所に着き。大床(おほゆか)に走りあがり其あたりを見まはせば、中央の床(ゆか)に臥し給ふは伝へきく成務帝(せいむてい)と見えて、七宝の襖(ふすま)に珠玉の褥(しとね)、衣冠たゞしくして東首(とうしゆ)したまふ。四面におの/\卿相雲客(けいしやううんかく)次第に居ならび、威儀おごそかなるありさま、生ける人に少しも、たがはず。身の毛よだちて覚へたるに、玉(たま)の床の後(うしろ)にあたりて大きなる黒漆(こくしつ)の棺(くわん)あり。鉄(くろがね)の鎖(くさり)をもつて石の桁(けた)に穴をゑり、八方へ釣りかけたり。其したに金銀珠玉衣服甲胃さま/゛\の宝をつらねて、心も詞も及ばれず、見も馴れざる古代の道具什物(じうもつ)うづ高く積みあげたるに、盜人ら是れを見て、おもひの外に徳つきたる心地して我よ人よと、あらそひ取らんとする所に、彼の釣りたる棺の内より白銀(しろがね)にて作りたる鼡(ねずみ)壱疋(ひき)、猪七が懐に落ちかゝりけるが、たちまち、棺の両角(りやうかど)より吹きいづる風の音(こゑ)、さながら秋の田面(たのも)に渡る野分(のわき)の風ともいひつべく、吹きしこるにつれて細(こまや)かなる砂を吹きおろす事、雲霧(くもきり)かしぐれの雨かと、袖を払ひ頭(かしら)をふるふ程に松明(たいまつ)を吹き消し、鋤鍬をふりうづみ見あぐる眼(まなこ)をくらまかし、矢をつくばかりに風につれて、とやみなく降る砂に盜人らも途(と)を失ひ、とやかくと身もだへせし内、すでにふりつみて、膝節(ひざふし)も隠るゝ程なりしかば、さしもの猪七もそらおそろしく、後(うしろ)がみにひかれて逃げ出でしかば、残る者ども我さきと命をおしみ転(まろ)び走り、門の外にかけ帰れば、石の扉おのれと打ちあひ、もとの如くにさし堅まる。猪七は彼の鼡(ねずみ)の落ちかゝりける跡、その折ふしは何とも思はず周章(あはて)てそこを遁れ出でしが、ほどなく癰(よう)といふ物をわづらひ故郷(こきやう)に帰りて死しけるとぞ。