以下、茂木健一郎『思考の補助線』(ちくま新書)から抜粋&作成。

 

 

総合的知性と専門的知性

 
p.196
人間の脳は有限で、この世界の表象やできごとは無限にあるから、その間には齟齬がある。
自分の有限の生の中で、とても全部を引き受けることはできない。

p.198
学問の現状は、遠い見はるかしをともなった横断性からは離れつつある。
 
明示的なかたちで「商品」になった「業績」だけをただ加法的に計算する成果主義が跋扈し、大学の教養課程も、「社会に出て役に立つ専門教育」を求める声の前に、しだいにその精神的輝きを失ってやせ衰えている。

p.199
人間が、総合性の錦の御旗を下ろしもいいとは思えない。

◎一見ある特定の側面が突出したように見える才能の開花も、実は総合的な知性に支えられている。
 
p.202
漢籍を素読するという経験の積み重ねが、中間子論の数学的フォーマリズムの創成につながる。

地下の水脈を通した統一体としての知性の密なるダイナミクスについて考察することなしで、人間の精神の広がりについて本当のことはわかるまい。

◎総合的知性が、ある専門性における鋭利な達成につながる。

p.203
ジョージ・レイコフ
抽象的な数学の概念が、いかに脳内の身体イメージの処理過程の上に成立しているか

p.204
人間は、自分自身の脳についてさまざまな取り違えをくりかえしてきた。
 
もの言わぬ静かなるものに耳を傾けるということは、倫理的に正しい態度であるだけでなく、知的卓越への階段を上るためには必要なことである。

心ある人は、今すぐにでも自らを閉じこめる「専門性」のガラスの壁をやぶり、世界という広大な偶有性の海に飛び込むべきであろう。