どういう事か。
全てを諦めた生き方を求める。
なんか変な話ですね。今にして思うと。論理的に意味が通っていません。
真言宗は得度後、四度加行という修業に入ります。私の場合は通いの修業でした。
密教僧になる修業の為、非公開の領域です。
非常に大変です。いろいろな意味で。
在家の一般の身で最後まで全うできる方は稀だと思います。
そして、師僧と自分との間で、見ているもの、あるいは見えているものが一致していること、これが重要だと思います。この部分のコンセンサスがとれていない場合、修業と師僧との関係そのものが空中分解しかねません。少なくとも当時を振り返って私はそう感じています。
次回に続きます。
