実は得度したいと思った当初、考えていた宗派は禅宗の宗派でした。臨済宗のお寺を訪問した事もありました。そこは場所的な問題で、通いの修業ができず断念しました。
禅宗と密教では、同じ日本の伝統仏教といっても両極端にある存在なので、当初思い描いていた得度とは修業の方向性が変わったとは思います。
得度式後、師僧から「自分だけでは(衆生を)救いきれないから、君も手伝ってくれ」と言われた事を覚えています。
その時は、はいわかりました、と答えましたが、私自身、救済するという事の意味、もっと言うと難しさについて漠然とではありますが、ただ事ではないものを感じていたのではないかと思います。
例えば、幼少期から親の虐待に遭っていた方々が心に負っている傷について、同じ経験をした事がない人が僧侶になって、お経にはこう書いてありますと言う説法したところでなんの意味があるのか。
自分は虐待を受けた人間ですが、もしそういう場面になればあなたに何がわかるんだと思うでしょうね。
通いの四度加行修業を開始して、暫くの後、体調が悪くなってきました。会社勤めをしながらの事でもあり、心身の負担が限界にきてしまったのだと思います。
自分ではわかっていたのだと思います。何かが違うということが。
次回に続きます。
