500キロ歩いた旧制中学校の修学旅行。 | シン・けん。のブログ

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繊細でか弱い武術修行者の拙い気づきを綴っていきたいと思います。気が向いたらお付き合い願えれば幸いです。

最初に光岡英稔先生の著書「身体の聲(しんたいのこえ)武術から知る古の記憶」PHP刊、から転載させて頂きます。
光岡先生は現在、日本における、韓氏意拳に関わる指導、会運営を一任されている方です。兵法・武学研究会を主催すると同時に、国内外の武術家・武道家に限らず人間の文化、身体、歴史を経験的に探究されている方々を招いての交流イベントなども主催されていらっしゃいます。

(転載はじめ)

2017年7月5日付の毎日新聞(ネット版)明治初期の修学旅行に関する記事が掲れました。
それによると1893(明治26)年4月に松江市の第一尋常中学校(現松江北高)が行った修学旅行では、生徒と教師81人が約500キロの行程のほとんどを徒歩で通したというのです。
にわかには信じられません。けれども、事実に違いないのは、当時まだ修学旅行が珍しかったと見え、地元の新聞記者が同行していたからです。
生徒らの出でたちは「木綿の筒袖、はかま、制帽、脚半、草履、布鞄」と推測され、その格好で修学旅行初日に残雪の四十曲峠(770メートル)を超えたと言います。
一行は10日間にわたって島根から鳥取、岡山、香川、広島県を巡り、旅程の約1/4は汽船や川船、鉄道を利用した以外は徒歩で移動し、時に深夜や未明に出発することもあったそうです。
交通機関に頼れない、まして今のようにアスファルトで舗装されていない道を歩き、時に山を登り、約500キロを踏破したのです。
「毎日新聞」の記事は、「124年前の生徒たちは現在では想像できないほどの健脚ぶり」と綴っています。
全員が余裕で歩いたわけではないかもしれませんが、その旅程を計画したということは、「10日かければ500キロくらいなら歩ける」という常識が、当時の世には共有されていたということでしょう。

(転載終わり)

500キロというのがどのくらいの距離なのか、調べてみました。
新幹線で東京から513.6キロで京都の模様です。
私の中学の修学旅行は京都、奈良でした。
東京に住んでいたので、ざっくり言って、学校から京都、奈良まで歩いて行く修学旅行というイメージでしょうか。しかも500キロは片道の距離なので往復で1000キロです(・・;)。無理でしょう!。行きは徒歩、帰路は新幹線でも無理です。

引き続き同書から転載させて頂きます。

(転載はじめ)

おそらく、当時と今とでは歩き方からして違うはずです。
けれども現代を生きる私たちがそうであるように、126年前の学生たちは「こういう歩き方をしよう」として特殊な方法で歩いていたわけではありません。
その時代の感性や感覚に従って歩いていただけです。
それらの身体感の延長にある常識が約500キロを歩くことを可能にしたわけです。
そうした感性や感覚に対して、私たちは無自覚であるがゆえに生活様式や文化が移ろってしまうと、以前の常識を特殊に感じ「健脚」と呼ぶほかなくなってしまいます。

(転載終わり)

126年前の学生さんたちは、教室でこの修学旅行の発表があった時、いったいどんなリアクションだったのでしょう?。。。

お読み頂きありがとうございました。