憧れの人を模倣する為の、服装であったり、ファッションであったり、あるいは、言動であったり、発想であったり、嗜好であったり、そういったものが全てが、自己イメージの補強であったわけですね。
そして、自分の場合は根底に、親に対する反抗がベースにもなっていました。
こういうことって、やればやるほど、火に油を注ぐようなもので、実は心としては、とてもしんどいんですね。
仏教では慢の煩悩と呼ばれるものだと思います。自意識がどんどん強くなっていく。
自覚なきまま、自己イメージの補強🟰自分
となってしまう。何せ放っておくとメッキが剥がれてきてしまうので、補強し続けないとならない。
憧れる対象は自己イメージの補強や増強するもののアイコンで、絶えずそのアイコンにすがりついているようなものなんですね。
この自己イメージ補強のプロセスに気づき始め、その気づきによって、徐々にその業火が鎮火するようになっていく中で、最終的に、その業火を吹き飛ばす上で、強力な要因となったのが、私の場合、武術の稽古でした。
。。。次回に続きます。