そういう状況の中でたまたま目に止まったのが仏教でした。図書館で借りた本がきっかけだったように思います。潜在意識が無意識的に探していたのかもしれません。
仏教の教えの眼目は、苦しみを感じる主体たる、自意識の解体である。
今も過去も厳然とある確固たる自分というものは存在しない。自己イメージ、自意識にすぎない。
瞑想によって、自己イメージに固着しようとする煩悩の働きを止める。
私が試みようとしたのはそう言ったことです。
ここから、暫し、自分の拙い瞑想の体験談を書きます。
瞑想中、呼吸への集中が深くなりその状態が持続すると、ただただ呼吸を感じているのみの状態になり、確かに煩悩の働きは停止します。
禅宗では、ひたすら坐禅をしている状態そのものが仏であると言っています。
成功裡に瞑想ができた後は、心は落ち着き、すっきりと静かな状態になる事は間違いないと思います。身体が浄化されたような感覚を覚えるような時もあります。
心が苦しくて苦しくてしょうがない中でなんとかそこから、脱したいということに瞑想は効果はありました。
放っておくとひたすら暴走する煩悩を呼吸に集中する事で縛り付け、それを常態化させる。自分が進むべき方向はそうだと思いました。他に選択肢も考えられませんでした。
。。。次回に続きます。