アジール 集いの場 自分が否定されない場所。 | シン・けん。のブログ

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繊細でか弱い武術修行者の拙い気づきを綴っていきたいと思います。気が向いたらお付き合い願えれば幸いです。

アジールという言葉を知ったのは、おそらく、武術家で思想家の内田樹氏の著書であったと思います。
韓氏意拳の光岡英稔師範との共著だったかもしれないです。書名は失念してしまいました。すいません。

私、なぜかこの言葉がずっと頭の片隅にずっと残っておりまして。(その理由はまた別の機会に書ければと思います。)

意味としては、聖域、安全地帯、無縁寺、共同体といった感じだと思います。
自分なりに平たく言うと、社会のしがらみを超えて皆んなが安心して安全に集えるところ、というイメージですかね。あくまでも自分なりにの理解です。
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武術の稽古場にあてはめて言えば、いろいろ思うところがある人達が参加して、各々模索するものを気軽に持ち寄って、お互いを傷つけ合うことなく、興味課題的なものをその場で共有し合えるような場です。必ずしも武術の動きや動作だけではなく、術理についてや、ものごとの考え方、日常感じたことなどをテーブルに上げることも含まれていいと思います。


全くの未経験者でただ何となく興味があって来るような方も全然ありだと思います。
どんな可能性が潜在しているかわからないですからね。

稽古場とか稽古会とか言えるレベルのものではないかもしれないませんが、稽古場についての捉え方は、人それぞれいろいろな解釈があってオッケーなのではではないかなあと思っています。
ということで、今回はアジールの概念から連想した武術の稽古場について書いてみました。

お読み頂きありがとうございました。