こんにちは
あきです
先日南イタリアのかわいい家のある街、アルベロベッロについて書きましたが
その時の旅のメモ書きが気になって・・・
ツアーの添乗員さんの話だったと思います
なにしろ4年前…
最近、短期記憶はもちろんのこと、その他のこともどんどん忘れていきます
家のモノもほとんど把握していて、探し物をするということがほとんどなかったのですが、
最近探し物をよくする自分に愕然…
自分のものを把握するアプリがあるときいたことがあるのですが
ちょっと本気で何とかしなければと思っています
とりあえず今は、そのアルベロベッロに関してのメモ書き
「郊外 赤い家 ユダヤ人収容所」
なんだったのか全然覚えていないんです
ちょっと気になってサイトを検索すると…
イタリア語のサイト~~~~読めない!( ;∀;)
が、自動翻訳機能でなんとか意味が分かる?わからない?
複数のサイトを検索・自動翻訳して何となくわかったのはこんなことでした
カーサ・ロッサ (赤い家)
Google MAPより
可愛らしいトゥルッリが立ち並ぶアルベロベッロの町からほんの数キロほどの郊外に建つ赤い建物
全然使っていないようにも見えなくもないさびれ具合です
建物は48の部屋に分かれた2階建て
中には地下室と礼拝所も設置されています
礼拝所のモザイク画はまだ色褪せておらず美しい
もともとは1887年、司祭のフランチェスコ・ギガンテによって建てられた農業学校でしたが
ムッソリーニの時代、その体制に反対する人々の収容施設になり
第一次世界大戦の戦争孤児の収容施設になり
第二次世界大戦中は近隣のユダヤ人強制送還収容所として(1940年6月~1943年11月)
その後は戦争難民やユダヤ人捕虜収容所から帰還した人々の収容所として使用されたとのこと
The United States Holocaust Memorial Museumから出版されている
Encyclopedia of Camps and Ghettos 1933-1945 にもアルベロベッロの記述がありました
人数は少ないようでしたが
こんな片田舎の町はずれの場所に独裁時代、戦争の記憶を背負った場所があるとはつゆ知らず、、、
三角屋根のトゥルッリの立ち並ぶ異国感に心躍らされていたのですが
この町には、こういう面もあるということを忘れてはならないと思います
こちらはカーサ・ロッサを文化交流の場所にしようと活動を続けるカーサ・ロッサ財団のHPですが
「財団」のページで1940年~1943年に収容された人のリストが見られます
イタリア人、ドイツ人、ユーゴスラビア人が多い、、、それも男性より女性の方が3倍近く多いというのが印象です
こちらのアルベロベッロのあるバーリ県の情報サイトにあるカーサ・ロッサの内部の写真で
リトアニア難民のヴィクトリア・チェルノンが描いたフレスコ画等、当時の様子がわかります
朽ち果てた壁や手入れされていないトゥルッリの姿に胸が痛みます
アルベロベッロ カーサ・ロッサ フォトギャラリー(バーリ県情報サイト)
なのですが…
このサイト、Homeに戻ると、中世の時代に黒魔術に使ったバーリの街のアーチやら魔女の凱旋門なるものが記事になってたりして面白いです^ ^ 自動翻訳の妙で怪しげさが増すのも一興です