物欲は自然破壊だから 早く自然破壊のビジネスはやめなければならない
今人間に目的がなくなった
娯楽で遊んで緩んでばかり居る
目的意識が必要だ 特に自然現象を見ること
見ていくこと 理解すること
自然現象の真ん中から
主観的に具体的に見る習慣が必要
そして 特に西洋と大陸に 自然現象の優しさ 渋さ 時間の厚みと余韻を 広めたい
西洋と大陸にも 同じ自然現象はたくさんある たっぷり スケールが大きいから、味わい ごたえがあるはず
この500年 化学薬品 電気 油 機械で せっかくの自然現象を壊したので 少しでも戻してほしい
無理やり 抽象的 集団的 客観的な でっち上げ 社会に鎖国で窒息させられ何百年も生きると
悲しいことを隠す 内面が みんなそうだという 焼き付けが繰り返された
ここを温めると全身が健康になる
自然に 具体的 個人的 主観的な現実に戻ろう
産業革命以前だから500年ぶり
驚きと柔軟性をキープしていこう
マンションとビルディングと車は一切やめとけ
そんなことしてるからいつまでも頭が固いまま
柔軟な 驚きが入らずに騙されている
アメリカと西洋に騙されるな 近づくな
西洋とアメリカに日本人の性格を合わせて無理やりねじ曲げて合わせている
昭和50年の高度経済成長期の頃からやられている計画的にやられている
あの時点で 日本が大きいところを任されて 精密機械の小さいところはヨーロッパやアメリカがやれば良かったんだ
客観的 抽象的 考えは もうやめて
集団に無理やり合わせまい
自然現象の真ん中を見る
自然現象の具体的な主観を見る
私たち自身も 具体的な主観で生きる
集団に無理やり合わせない
客観的 抽象的 考えは やめる
具体的な主観で生きる
西洋とアメリカは無視をする
ちょっと見 じゃわからないように 潜在的に そっと合わせさせられて 気持ち悪い 日本人になって居る
やはり 昭和20年 じゃないな 考えるべきは鎖国の300年間だ
高度経済成長期に宮大工を知っている 大正生まれのおじいさんたち 当時のリーダーたち
大きい仕事を任せられるほど 想像力と記憶力と感情力に長けていた
豊かだった 富んでいた
国がもたもた動くより
個人とローカルがシャキシャキ動いたほうが生き生き生きられる
目に見える物質は共有にすれば 後は1人 個人が内面の精神を見つめて その現状を共有する
今のままだと みんなの世界は 余ったエネルギーがどこかへ 無駄に飛んで行き、散逸してしまう
今の みんなの世界は 全体像を言っていて、客観的に外から見た自分たちの姿を言っている
が
個人 1人の内面に 全体像を入れる必要はない
皆んなの三人称世界は 偶然の結果 良くなるもの
個人が自分で頑張れば 三人称世界も厚くなる
これは自然な循環 だから 無駄な薬物や 迫力に負けた暴力もなくなる
虚構の幻の排泄も なくなる
ふるさとの人間関係が一番
自然現象の農業と溶け合って 頼もしい
緊張がエスカレートした 中央集権とグローバルスタンダードの一直線の理屈の縛り付けがひどかった
これは、集団が個人に謝罪して謝ることによって緊張がほぐれていく
まず 集団が 固まった 不自由 を 自由な 柔軟な ニュートラルに 硬直と重圧をゆるめる
そして 個人に謝罪をする
集団が間違いだった
犠牲を出した
迷惑だった
そうすると、個人と集団 双方が解放される
追って、個人の心の中が解放されて
柔らかく自由にほぐれていく
人が急に増えすぎたから
計算が追いつかなくなった
さらに高齢者社会で、左脳が右脳を飛び越した
自然な右脳が消えたから、自然現象を楽しめない
自然現象が仲間なら、いつも ニュートラルで続いてゆく
それが普通なのが 経済 だ
ところが
たまり込ませて、人間だけが気分よくして、
損しても、
何が何でも計算だけの世界に固執して、金を増やしていたりする
自然現象と合っていない
まだ計算で自然現象を左右出来る悪夢を捨てない
既得権益 が貯めた 感情のアイデアをどう使おうか考えている隙に、自然現象はどんどん変わった
情報をため込んでいつか使えると思い込んでいるうちに 自然現象はどんどん変化して形を変えてしまった
情報も流れなければ 腐る
止まったものは 流れに置いていかれる
自然現象の美麗 今の気分を味わえてるか
製品 都会で 思い込みをごまかしていないか