今朝はこの秋一番の冷え込みとなった福岡の田舎。

そろそろブラームスの季節でしょうか(^^)


たまに、ある曲を集中的に聴きたくなることがありますが、今回はそのブラームスの第1交響曲。

トスカニーニやフルトヴェングラー、あるいはバーンスタインやジュリーニ、あるいはノリントンやジンマンなどを聴きましたが、やはり彼らの場合は曲の個性もさることながら、指揮者の体臭を強く感じてしまいます。
(それが悪いという意味ではありませんが)

あるいはセーゲルスタムや、死の直前のアーベントロートのこれ以上ないやりたい放題のイロモノ系(失礼!)の演奏なども色々と漁りましたが、とりあえず正統派と個人的に思う演奏を3つ。


まずは


コンヴィチュニー&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管


コンヴィチュニーが死の直前に残した1962年の録音。

ピークでやや音が割れ気味なのが残念ではありますが、それさえ我慢すれば素晴らしい演奏。

まぁ、融通がきかないというか、良くも悪くも武骨なブラームスであります。

この人のシューマンやベートーヴェンもそんな感じですが、今だからこそ絶滅種としての価値があろうかと思います。

なおカップリングのモーツァルトのアダージョとフーガも、クレンペラー盤と並んで出色の出来映え!



お次は


ザンデルリンク&ドレスデン国立歌劇場管。


ザンデルリンクには、後年にベルリン響と録音したデジタル録音も存在し、評論家筋にはそちらのほうが受けがいいようですね。

しかし個人的には、オケのレベルの差は歴然たるものがあり、ドレスデン盤に軍配を上げたいと思います。

第1楽章冒頭の序奏で、半音で上昇して進行する音型が、この楽章全体のモティーフであり続けてます。
(さらに言うならば、この楽章の第2主題=130小節から始まる第1主題に対して平行調のEs-durの主題も、1拍目と4拍目をそれぞれ3小節拾っていくと、各々半音ずつ今度は下降する音型が浮かびあがります)。

ザンデルリンクは、やはりこの音型を、ベートーヴェンの「運命」の例のモティーフのように、とっても大事に扱っているのがよく判る演奏を繰り広げてます。

それと、やっぱりオケの優秀さはさすが。
まだ東ドイツ時代ですが、ホルンは言うまでもなくペーター・ダム、ティンパニが名手ゾンダーマン、コンマスは就任して間もない頃のミリングと、この頃のこのオケは実に充実したメンバーを抱えてましたよね☆



最後に


ハイティンク&ドレスデン国立歌劇場管


もう何度も取り上げてきたので、耳タコかと思いますが、ここ20年のこの作品の録音の中でも最高の出来と言っても過言ではないと思います。

言うまでもなく、ハイティンクはコンセルトヘボウ管と全集を完成させており、ことに第2番は高い評価を受けてました。

またボストン響との全集も評価は高いし、昨今はロンドン響ともライブで全集を完結させています。

しかし、重厚なブラームスというイメージが一番しっくりくるのは、このドレスデン盤だと、今回聴き比べて改めて感じました。

ことに、第1楽章の展開部から再現部への回帰の部分は、ここだけでも聴いて!と言いたくなる素晴らしいものです。


この録音は、CD自体が長らく廃盤の憂き目に遭ってましたが、このたびProfilレーベルより、当日の全ての演目を収録して再発されるので、まだの方は是非とも♪

久しぶりにクレンペラー&ウィーン・フィルの演奏を聴いてみました


シューベルト  「未完成」
ベートーヴェン 「運命」

かつてのドル箱カップリングのような組み合わせ。

このCDは、ウィーン・フィル創立150周年の折りに、ORFの正規音源からステレオ録音で発売されたもの。
もちろん現在は廃盤ですが、同じ演奏はテスタメント社から発売されています。

1968年のウィーン祝祭週間の目玉企画であったクレンペラー&ウィーン・フィルによる連続演奏会。

戦前から共演歴はあるものの、戦後は数えるほどしか共演はできませんでした。

クレンペラー曰く、ギャラが安いから(笑)

まぁ、身体も不自由だったことも理由の一つかも知れません。

でも、クレンペラーは他のどのオケよりもこのオケを尊敬し、その旨のメッセージも残しています。

戦前のベルリンのイタリア大使館で撮影されたあまりにも有名な5人の指揮者の集合写真、すなわちトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラー、父クライバー、そしてクレンペラーのうち、この時期なお存命だったのはクレンペラーだけ。

さらにウィーン・フィルの定期演奏会に毎シーズンのように振っていたクナッパーツブッシュやシューリヒトももはやこの世にはおらず、クレンペラーは数少ない19世紀生まれの巨匠だったということになります。


さて、まずは「未完成」。

クレンペラーお気に入りの両翼配置。
冒頭の低弦も、そしてそのあとのVnの刻みもフルトヴェングラーのような神経質なものではなく、淡々とスコアに書かれているように表現しています。

戦後コンセルトヘボウ管に客演した際に、備え付けの指揮者用のスコアのあまりの書き込みに(恐らくはメンゲルベルクの書き込み)、「これはスコアではない。小説だ!」と言い放ったという逸話がありますが、それを地で行くようです。

E-durに転じる第2主題のVcも、とりたててエスプレッシーヴォに弾かせることなく、スコアの通りppで淡々と弾かせてます。

それにしても、mollの曲では第2主題は平行調を用いるというのが古典派のソナタ形式の流儀ですが、シューベルトはそこから一歩踏み出してるわけですね。
大ハ長調交響曲も、第1楽章の第2主題はe-mollに転じたりしてますしね。

演奏はさすがはウィーン・フィル、美しいの一言に尽きます。
もちろん、曲の美しさもありますが、第2楽章が終わり、「シェーン」というクレンペラーのものか誰のものか分からない言葉が聞こえてきますが、全く同感です♪


「運命」の方は、もういわゆる昔ながらのベートーヴェンという感じの、重心の低いもの。

近い時期に録音されたベルリン・フィルやバイエルン放送響とのライブと、基本的な解釈は同じ。

一画一画を丁寧に書いたような演奏。


クレンペラーとウィーン・フィルの最後の顔合わせとなった1968年の貴重な記録です。

昨日の台風は、特に被害がなく過ぎていってくれました(^-^)


今日はヨッフムがバンベルク響を率いて1982年に来日した際の録音から


ベートーヴェン 交響曲第6番。


東京文化会館でのライブ。


ヨッフムは「田園」をよく録音しており、3回のベートーヴェンの交響曲全曲録音の他にも、1943年のハンブルク国立歌劇場との録音、1951年のベルリン・フィルとの録音、そしてこの東京での録音と、正規に発売されたものだけでも6種類存在し、海賊盤を含めればさらに沢山あるかも知れません。

何度も書いてきたように、ヨッフムが晩年になり大輪の花を開かせ、神々しい演奏を繰り広げていた時代の録音。

前年にベームが亡くなり、独墺圏の指揮者ではほぼ最長老となっていたヨッフム。

先般紹介したドレスデンでのブラームスの第4交響曲、フランス国立管とのブラームスの第1番、バンベルク響との一連のモーツァルトの後期の交響曲、さらに死の前年にベルリン・フィルを生涯最後に振ったベートーヴェンの「皇帝」(ソリストはアラウ)と「運命」、やはり同じ年にこれも生涯最後にコンセルトヘボウ管を振ったブルックナーの第5交響曲と、とにかくヨッフムの音楽人生の集大成とも言える後光のさす演奏が次々と飛び出していた時代。

今回の来日公演も、ヨッフムが80歳になる年のもの。

冒頭の始まり方は、ヨッフムが尊敬したフルトヴェングラーと同じく非常にゆっくりとしたもの。

主部に入ってもテンポは相変わらずスローで、この辺りはインテンポを貫くクレンペラーと似ています。

ただ鳴らせ方は違います。

クレンペラーは個々の楽器がはっきりと聞き取れるようなバランスを取るのに対して、ヨッフムは全体としてのハーモニーを重視しており、かなり違います。
(もちろんライブ故のマイクのセッティングの問題もありましょうが)

余談ですが、ヨッフムはバイエルン放送響の首席指揮者時代にクレンペラーをこのオケに招き、以後長きにわたりクレンペラーは客演をしてます。
またクレンペラーの夫人がミュンヘンで亡くなった際に、クレンペラーの家族以外で看取ったのがヨッフム夫妻だけという親交もありました。


あとはデュナーミクの処理は興味深かったです。
第1楽章や第5楽章にもffの指示がありますが、同じffでもやはり第4楽章の嵐の場面のffが一番強く弾かせています。
同じffの指示でも、曲全体を俯瞰した上で差をつけているのは、さすがは老匠というところ、脱帽です。


今風のベートーヴェンとは全く趣を異にし、もはや聴けないタイプの演奏だとは思いますが、現代の解釈でベートーヴェンに慣れ親しんだ若いかたには、意外に新鮮かも知れません♪