今日はフルトヴェングラー作曲の交響曲第3番を、ドイツ・フルトヴェングラー協会盤で♪


①ベートーヴェン 交響曲第1番
②フルトヴェングラー 交響曲第3番


①フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1954年9月19日)

②カイルベルト&ベルリン・フィル(1956年3月6日)


①はフルトヴェングラー生涯最後の演奏会のライブ。

②は自由ベルリン放送の放送用の録音。


フルトヴェングラーの交響曲の中では、本人が積極的に振った第2交響曲が比較的録音に恵まれてますが、第3交響曲は未完成で本人が振っていないこともあり、録音は数種類しかありません。

初演は、フルトヴェングラーが亡くなって1年以上経た1956年1月で、フルトヴェングラーを尊敬していたカイルベルトがベルリン・フィルを振ったものです。

右からフルトヴェングラー、ヨッフム、カイルベルト(1954年バイロイトにて)。


フルトヴェングラーは晩年に集中的に自身の交響曲第2番を取り上げており、特にベートーヴェンの第1交響曲と組み合わせたプログラムが多いです(①の日にも自身の第2交響曲が演奏されていま)。

彼にとっては、ベートーヴェンが交響曲の始祖で、自身はその流れを汲む、あるいは締め括る立場だという自負があったのかな?などと勝手に想像します。
(一般に交響曲の開祖はハイドンとされますが、ことフルトヴェングラーに限っては、ハイドンとモーツァルトの交響曲は演奏も録音も少なく、明らかにベートーヴェンを格上に置いてます)。

もはや先輩のリヒャルト・シュトラウスですら、ちゃんとした交響曲を書かなくなった中で、交響曲の主流を成してきたドイツの作曲家として自分しかいないという矜持?


フルトヴェングラー自身は先輩のマーラーやリヒャルト・シュトラウス、あるいは師匠のシリングスやプフィッツナーと同じく「指揮もする作曲家」だと意識していたようですが、存命中から本人以外からは「作曲もする指揮者」と認識されてましたし、そもそも「作曲をしていることすら知られてなかった指揮者」だったかも知れません(苦笑)


そして、このcis-mollの第3交響曲の内容ですが、各楽章に以下の言葉が付される予定だったようです。

第1楽章…宿命
第2楽章…生への拘束
第3楽章…来世
第4楽章…戦いは続く


まぁ、このタイトルからなんと無く分かるかと思いますが、ずっと何かと格闘しているというかもがいているような音楽です。

正直なところ、フルトヴェングラーファンである私にとっても、聴き通すにはかなりの難物です(苦笑)

第4楽章は未完に終わったため、カイルベルトは第3楽章までの演奏にとどめてますが、昨今は第4楽章も含めた録音も登場しています。

なお他には、有名どころの指揮者によるものだと、サヴァリッシュ&バイエルン国立歌劇場管の録音があります


たまには、音楽から離れた話を。


過日、献血に行ってきました。

別にタイトルにあるような善意からなどではなく、はたまた献血して貰える景品(?)が目当てでもありません。


理由は後日送られてくる血液検査の結果。

一通りの基礎的なデータが判り、けっこう役に立ちます。


普通に病院で血液検査を受けたら3割負担でもそれなりにするし、まして病気でもなく自己都合で検査すれば10割負担ですからね。

もちろん職場の健診もありますが、年に1回ですし、四半期に1回くらいとなると、献血は便利です。

そういう利用の仕方が日赤の理念に適ってるのかは知りませんが、まぁ自分の血が間接的に誰かの役に立ってるんだから、と言い訳しておきます。


さてタイトル。


はたして、いつまで「善意の」献血は制度として維持できるのだろうか?


特に若い世代に呼び掛けてるとのことですが、何せこの世代は絶対数が少なく、今や日本の「お荷物」と化している団塊の世代が後期高齢者になる頃には、血液不足は確実だろうと思います。

ことに、一人で何十人ものしかも新鮮な血漿を必要とする血漿交換の治療を受ける人がさらに増えれば、もはや現行の制度の継続は致死的です。


個人的には、そろそろ「売血」を開始するべきではと思います。
(表現や制度のあり方は色々意見があるかと思いますが)。

それと、特に割の悪い(つまり多数の献血者を要する)血漿交換の治療を受ける人には、応分の経済的負担をして貰うなど、献血の恩恵を受ける人も負担をするというのは避けられないと思います。

(献血者に支払うか、診療報酬に含めるかは議論があるかもしれないですが、献血のインセンティブとしては献血者に支払われたほうが良いと思います)


「経済的に困窮してる病人からさらに金を取るのか」とか、「借金の担保にお前の血液!」みたいな問題は、「売血」への反駁の論拠とされてますが、はたしてそういう建前論、美しい理念だけでやっていけるのでしょうか?

もちろん、もしかしたらいつかは自分も献血の恩恵を受けるかもしれないから、お互い様だろうという指摘もありますが、他方で慢性的に血漿交換で献血の恩恵を受けている人がいて、他方で血漿を提供する側は全くの無償奉仕というのは、バランスとしていかがなものでしょうか?


年金も医療費も税金もそうですが、献血もそろそろ本音ベースで議論すべきでは?と感じた今回の献血でした。

何度か取り上げた記憶のある、1954年5月4日のパリでのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによるライブ録音を


・ウェーバー 「オイリアンテ」序曲
・ブラームス 「ハイドンの主題による変奏曲」
・シューベルト 「未完成」
・ベートーヴェン 「運命」

フルトヴェングラーの十八番をズラリと並べたプログラムです。

この録音は昔から恐らくはエアチェックしたものをディスク化したものが出回ってましたが、こちらのディスクはフランス・フルトヴェングラー協会盤と同じく正規の音源からのディスク化のようです。


会場はオペラ座(ガルニエ宮)




当時フランスに留学中であって故・遠山一行氏によると、コンサートでオペラ座が使われることは、フルトヴェングラーのコンサート以外はなかったとのこと。
(通常はシャンゼリゼ劇場かサル・プレイエルでしょうね)

また当時のパリでは、コンサートは割と閑散としていて、チケットも簡単に入手できたものの、フルトヴェングラーのコンサートだけは行列ができていたと回想されてます。


フルトヴェングラーとフランスとの関係は昔からあり、戦前は特にパリのオペラ座で毎年のようにワーグナーを、それもメルヒオールやローレンツのような当代随一のヘルデン・テノールを率いて上演してました。

ただ、ドイツ軍に占領された大戦中のフランスには、遂に姿を現すことはなく、ベルリン・フィルのフランスでのツアーは全て他の指揮者に委ねてます:

1940年…クナッパーツブッシュ、ヨッフム
1941年…ローター、ベーム
1942年…クラウス
1943年…ヘーガー、クナッパーツブッシュ
1944年…クナッパーツブッシュ


いずれも、ナチス時代のドイツに残った名匠たちがパリにベルリン・フィルとともにやってきています。


フルトヴェングラーのフランスへの再登場は戦後の1948年で、この時はパリ音楽院管への客演です。

その後は毎年のように、ウィーン・フィルとベルリン・フィルを率いて、フランスにやってきています。

そして上記のCDに収録された1954年コンサートは、フルトヴェングラーにとって生涯最後のパリでの演奏会となりました(半年後には亡くなってます)。


このツアーは過酷、少なくとも既に1952年と1953年に2度にわたり病床に臥した68歳の巨匠には、あまりにも過酷なものでした。

まず4月14日から17日までウィーン・フィルと4日連続(!)でバッハの「マタイ」を上演しています(録音あり)。

そして25日から27日まで連続で、今度はベルリン・フィルとの定期演奏会に臨んでいます(録音あり)。

そしてそのままベルリン・フィルと楽旅に出ます:

翌28日のハノーファーでのコンサートを皮切りに、ビーレフェルト→ケルン→パリ(2日間)→リヨン→ジュネーヴ→ローザンヌ→ミラノ(2日間)→フィレンツェ→ペルージャ→ローマ→トリノ→ルガーノ→チューリヒ→フライブルク→バーデン・バーデン→カールスルーエ→マンハイム→カッセル→そしてベルリン(3日間)

という、日本の格安ツアーでもこんなに詰め込んだ日程はないぞ!という無茶苦茶ハードなツアーです。

カウントしてみましたが、1ヶ月で27公演!

しかも、直後にはウィーン・フィルに登場し、さらに友人のアンセルメが率いるスイス・ロマンド管に客演。


ただ、これだけハードなスケジュールにもかかわらず、パリでの録音や、トリノやルガーノでのコンサートの録音を聴く限り、ルーティンワークに陥っていないのはさすがです。

往々にして巨匠と呼ばれる指揮者は、晩年に至ると弛緩した演奏が多くなりますが、フルトヴェングラーにはそういったところが有りません。

確かに、例えば「運命」なんかは、大戦中の録音あるいは追放解除後のベルリンへの復帰コンサートのような激烈さは薄れてますが、それでも凝集力の強い演奏は健在です。

相変わらずアインザッツは揃わないんですが、彫りの深さといったらありません。
ズシンとくるバスの響きは、まさにフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの特質。

終演後の嵐のような「ブラーヴォ」もさもありなんという感じです。


また「未完成」も冒頭の神経質なまでの緊張感は、まさにこの人ならではです。
(これより前の時期のものですが、ベルリン・フィルとのリハーサルの映像が残っており、けっこうしつこくやり直してます)

現代の指揮者なら、良く言えばあっさりと、悪く言えばぶっきらぼうに片付けてしまいますが…

そして第2楽章最後の締め方なんかは、もうフルトヴェングラーの独壇場。


本人も思いもよらなかったでしょうが、およそ半年後にはこの世にはいなくなる指揮者の演奏とは思えません。


音質もこの時代のライブにしてはかなり良好なほうなので、興味のある方は是非!