僕のあたまの中、文章化 -2ページ目

憧れる名字

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名字、それはまさしく初対面にしてその人の印象を決定づけるパワーを持ったものである。

名字の持つ印象とその人の顔があまりにギャップがある場合もしばしば。

お前暑苦しいヒゲ面のその顔で京本はないやろーみたいな。

京本、で思い出したが、芸能人の印象に引っ張られる場合もある。

例えば、清原。

これは名字至上最も質の悪いものだ。

清原と言えば誰しもが思い描くあの元プロ野球選手の球界の番長。

黒光りした顔面に整えられた威圧感漂う坊主頭、それを左右につなぐヒゲ。そしてあの風体。

向かうところ敵なし人間の代表格。

「私○○株式会社の清原ですー。お世話になっております」

と商談でやってきた清原さんが

・ばりばりのチャラ男だったら

・健康状態の悪そうなヒョロ男だったら

・趣味は鉄道です、と胸を張る鉄道オタ男だったら

・そもそも女性だったら

何となく違和感を抱くはずだ。

それはイメージが偉大な清原氏に引っ張られているのである。

ではどんな名字が理想的なのか。

①まず、芸能界に存在していないこと。

②なるべく物質的でないこと

③適度な長さであること(3~5文字)

がその条件と考える。

おそらく②をクリアするのが難しい。

物質的でないというのは、裏返せば概念的な文字が名前に入っているということ。

例えば、「時」とか「愛」とか「生」とか。

そして僕が出した理想的な名字とは、

時雨(しぐれ)

なんか叙情的できれいじゃないでしょうか。

もしこれを見ている時雨さんがいらっしゃいましたら是非生き心地を教えてください。

そこが横柄だ~山木さんの場合~

 山木耕三は山形でぬり絵師として生計を立てている。暮らしは決して贅沢とは言えないが、毎日充実した生活をしていると言い聞かせていた。

「ぬり絵一つとっても奥が深いんじゃ。赤を使うのか、黄色を使うのか、その時その時で違ってくる。訴えかけてくるんじゃよ。」

 ぬり絵師。それは何も色づけされていない真白いキャンパスに独自の色を落とし、絵師の作品へと昇華させる。しかしよく聞いてみると山木さんが主にぬっているのは一般的に市販されている子供向けのぬり絵だ。訴えかけてくる以前に配色の相場は決まっていた。しかし山木さんは訴えかけてくると言って聞かない。

「何て言うかな~、絵が訴えかけてくるとでも言うたらええのかな~。わたしを黄色く塗ってくれと訴えかけてくるんじゃよ。」

 はじめての取材に舞い上がっているようだった。

 ぬり絵師の数は年々減少し、今では山木さん含め5人ぐらいになってしまっているようだった。1980年代にはもっといたとの説もある。当時の様子を山木さんはこう語る。

「わしが子供の頃ちゅうたらもう、砂糖が貴重でのう。砂糖だけで充分デザートじゃった。スイーツじゃった。月にいっぺんだけ、母親が砂糖を買ってくる日があって、その日は学校にもいかず、釣りをしていたもんじゃ。決まって坊主だったがの!ふぉふぉふぉ。懐かしいわ。」

 ぬり絵師の減少に具体的な対策を取らず、放置していた様子がうかがえる。現在後継ぎがいない山木さんは自身の技を継承すべく、県外に対し積極的に情報発信を行っている。

「今の世の中、若者はこういった伝統芸能を毛嫌いする傾向にあるようじゃ。悲しいことじゃと妻が言っておった。そこでわしは県外に対し積極的に情報発信を行っておるんじゃ。
 例えば?そうじゃの~、例えば?自分が塗ったぬり絵をじゃな、見てもらったり?とか?後は~自分が塗ったぬり絵をほーむぺーじ?にあっぷ?したりしとるんじゃよ!」

 自信なさげな受け答えとは対照的どや顔をカメラにお見舞いする山木さん。その山木さんの作品を一部見せてもらうことができた。

「これがピカチュウ。それがアソパソマソじゃな!どれも全く一からの色づけじゃったもんで、色を創造していくのが一番大変じゃった点じゃ。わしは主にクレパスで色づけしていくんじゃが、このピカチュウに色を入れる時、お前は何色に塗られたい?何色に塗られたい?と語りかけた・・対話じゃ!対話!対話しながら進めていったんじゃ!そしたらピカチュウがちゃーんと訴えかけてきたんじゃ。」

 鮮やかなまでに真っ赤なモンスターがそこにはいた。

 最後に山木さんに今のぬり絵業界について聞いた。

「景気が悪いのもあってか、なかなか儲かりゃせんよ。きっつきつじゃ。けどこれはお金じゃないんじゃ。完全に夢とか希望とかぬり絵とかの世界での、お金を追いかけたら決してできる職業じゃない。わしもこの道58年になるが、昔はもうちょい羽振りがよかったぞ?塗って塗って塗りまくりーの稼ぎまくりーのじゃったからな。当時は札束が机の上に立った夢をよく見たもんじゃ。世の中金じゃと何度思ったことか。しかし今はこの通り、ナイキの一足も買えん。エアマックス95のままじゃ。けどわしはこれからも続けていくぞ。何度も言うがこの仕事はお金じゃないんじゃよ。」

 その熱い想いをクレパスにのせ、山木さんは今日もぬり絵に魂を込めた。

人間とオラウータンの違いについて

人間はコンビにで買い物する時、587円の会計で602円を出して15円のお釣りをもらいますが、オラウータンしません。

人間は男の子に生まれたら17歳で甲子園を目指しますが、オラウータンは目指しません。

人間は気まずくなるとすぐ「蒸し暑いですね~」と言うが、オラウータンは言いません。

人間はご飯につけるものがないと不機嫌になりますが、オラウータンは不機嫌になりません。

人間は「スイカ割り何かしたらぐちゃぐちゃなるし、砂とか入るし普通に食べようや~」と言いますが、オラウータンは言いません。

人間は「朝はパン派?ご飯派?」と何かと不毛な議論を展開しますが、オラウータンはパン派です。

人間は雨が降ると傘をさして雨をしのぎますが、オラウータンは晴れていても足元は大体濡れています。

人間はドラクエ等のRPGに異常な興味を示しますが、オラウータンはドラクエ等のRPGにかかった開発費用に異常な興味を示します。

人間は「ピンチの後にチャンスあり」と前向きに考えますが、オラウータンはピンチの後には絶望が待っているとしか考えていません。

人間は「失敗は成功のもと」と前向きに考えますが、オラウータンは失敗は明日以降支給されるバナナの本数の激減につながるとしか考えていません。

人間は「雨降って地固まる」と言いますが、オラウータンは雨が降れば枯れていた森が元気になり、その森が生き物のゆりかごとなり、地球はより多種多彩な生態系を構築でき、長い目でみたらそういう世の中がオラウータンの為にも、人間の為にも良いと思っている。


人間もオラウータンも同じだね!

自己紹介

 1985年(昭和60年)4月30日、父と母の快楽の結果、明石の地に生を受ける。外の世界に出た驚きと、へそのをを切られたことに伴う激痛から産声をあげる。しばらくの間「好きな飲み物は?」と聞かれたら「母乳」と即答する時代を過ごす。その頃から飲み込みは早かった。

 次第に髪の毛も生え揃い、少し大きめの石とおにぎりの分別がつくようになると地元の幼稚園に通い始める。ごく普通の幼稚園児となんら遜色ない生活を送る。遠足に行った時の集合写真で、皆がスペシウム光線のポーズやらなんやらしている中、先生の後ろで棒立ちというシュールさを発揮し始める。そして母の陰謀でジャンボ尾崎もびっくりの襟足に加え、具志堅用高も唖然のパーマをあてられ、産声以来の号泣をする。

 そしてそのまま地元進学で小学校に通いだす。1年生終了後、転勤。転勤先では自然遊びかサッカーというワンパク少年を演じた。さらにドッヂボール部に所属していた。そのせいか、下駄箱にラブレターというべたなシチュエーションが何度かあった。その頃恋愛に関しては無関心だった僕は、それを持って図書館裏にこっそりと猛ダッシュし、ドキドキしながら文面に目を通した。
 小学校4年に。そこからは塾通いにいそしむ。地元の少年野球チームから熱烈に誘われたが、受験に集中した。塾の宿題をしている時にテレビに映し出された失楽園の衝撃映像は幼心に性への興味を喚起させた。そして見事第一志望校に合格。

 中学一年、ほぼ他人の状況下、あのジャーニーと出会う。ジャーニーという名づけ親は僕だ。中1のクラスで散々なまでにいじられ、幾度となく鼻の下に臭いものを塗られくじけそうになった。そしていつしか僕はジャーニーに同様のことをしていた。MからSへの転換期である。部活は野球部に所属。伝説の教師に出会う。彼との出会いが僕の運命を変え・・ることは一切なかった。

 すんなり内部進学で高等部へ。部活はまたも野球。兵庫県ベスト8に入った。背番号17もいただいた。本来僕はぶんぶん丸で大きな当たりを打つのが身上だったのだが、監督の意向に反していたので変更した。そして気づけばホームラン<ヒット<進塁打<声だし<お茶くみという優劣ができていた。

 そしてすんなり大学はそのまま進学。中学高校に比べたら明らかに面白さは半減したけど、それなりに満喫。アンチ男前を掲げ、「するめ」を発足。見た目は悪いが、噛めば噛むほど味があるがモットーだ。バイトも教育系と音楽系の掛け持ちを割と頑張って最後まで続けた。ゼミは中国ビジネスというイマイチ興味に欠ける内容を見事なまでの球体の頭を持った先生に教えてもらっていた。

 就職。テレビ通販の会社に潜り込む事に成功。社会人三年目を迎え、自分の夢に向かうベクトルが社会人としての生活を脅かす。ああ、今の仕事におけるモチベーションが大変だ。取りあえず、形になるまでは頑張って堪えようと思っている。

 唯一無二な人格形成を目指し、半身浴をこよなく愛すにしおをこれからもよろしくお願いします。

どこか和やかだ〜篠崎さんの場合〜

篠崎さんは北海道の広大な大地で酪農を営んでいる。毎日朝はまだ辺りが暗い内から仕事を始める。

「わしの一日の始まりは牛にあいさつをすることなんじゃ。これはこの仕事を始めてからさぼったことはあんまりないからね~。ふぉっふぉふぉ」

 あいさつぐらいでどこか自慢げな篠崎さん。彼の農園では約200頭の牛を飼育している。放牧なども必死に取り入れ牛にストレスを与えずに伸び伸びと育てている。

「餌ですか??餌は干草を中心にトウモロコシとか~ほら!最近ビールを入れたりしとるじゃろ!わしもやっとるぞ~。とはいえ一番はわしの愛情ですかな!?ふぉっふぉふぉ」

 私が特に興味もなかった餌トークを自らしだしたかと思うとテレビを見ててこう答えるのがかっこいいと思ったのか「一番は愛情」発言に満足げの篠崎さん。

 篠崎さんは牛を中心に鶏5羽を趣味程度で飼っている。毎朝採れる卵をご飯にかけて食べるのが最高なんだという。よほどいいものを食べてないことが容易に推測できる。
 朝食を済ませた後は用もないのに牛の元へ。それぐらい牛が大好きなのだ。ブラッシングをしてあげたり返答の期待できない会話をしてみたり。それでも篠崎さんは満たされていた。今日は取材ということを完全に意識してしまっているせいか、牛との会話もどこかしらじらしく、要所要所で噛んでしまっている。ちらちらカメラ目線になるところをみても完全に意識してしまっている。
 篠崎さんにはもう一つ大きな仕事があった。乳搾りである。彼の生活はこれで成り立っている。篠崎ファームの濃厚な牛乳は近所レベルでは有名だ。遠方からもわざわざ篠崎さん家の牛乳を買いに来るお客さんができたらいいと思っている。一日500本限定で生産される牛乳は一日で売り切れた試しがない。彼の指の指紋は乳の搾りすぎで消失していた。

「毎日毎日乳を搾っていたらこうなりますわな。これがわしの勲章ですわ。ほかにこれといって誇れるもんはないのじゃが、指紋が消えた、これが唯一の誇りじゃよ。ふぉっふぉふぉ」

 顔をしわくちゃにして笑う篠崎さんの手からはいつまでの牛乳がしたたっていた。

 我々がいつの間にか忘れてしまっているものを、篠崎さんは牛たちと共に大切に持っていてくれた。