『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』 | First Chance to See...

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 小説『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』は、日本語訳が出た2014年当時に読んだことがある。が、期待したほどにはピンとこなかった。そして今では「ピンとこなかった」ということしか憶えていない。

 

 

 そんな「ピンとこなかった」小説が映画化され、『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』の邦題で日本公開されても、当然ながら全然そそられない。それでもわざわざ映画館まで足を運んで観に行ったのは、ひとえに主演のジム・ブロードベントとペネロペ・ウィルトンを信頼してのことだった。

 

 

 南デヴォンに暮らすハロルドとモーリーンの老夫妻のもとに、ハロルドの元同僚で今は北部イングランドのホスピスで療養中のクイーニーからの手紙が届く。クイーニーは余命いくばくもなくこれが最後の手紙になるとのこと、ハロルドはお悔やみの手紙を書いてポストに投函しようとして、もうちょっと先のポストで投函しよう、いや、もうちょっと先の郵便局で、を繰り返すうち、売店の女性の言葉に背中を押され、直接歩いてクイーニーに会いに行くことにする。自分が歩いて向かっている間はクイーニーは死なない、という信念だけを頼りに。

 

 ……その昔、私が原作小説を読んであまりノレなかったのは、この手の「男の突発的な思いつき」、私がひそかに「『フィールド・オブ・ドリームス』症候群」と呼んでいる行為を持て囃す気になれなかったからだと思う。謎の信念で闇雲に突き進む男の姿に、最初のうち女は胡散臭がって非協力的だけれど、そのうち男の信念の正しさ/素晴らしさ/一途さにほだされて全力で応援するようになる、みたいな話。『ハロルド・フライ』も間違いなくこの路線だし、映画を観ていてハロルドの無意味な節制に「それはちがうだろ」と突っ込みたくなることもあったが、それでも私がこの映画を思った以上におもしろく観ることができたのは、ペネロペ・ウィルトン扮する妻モーリーンの心情がきっちりたっぷり描きこまれていたから——ひょっとすると原作小説でもきっちりたっぷり描きこまれていたかもしれないけれど(何せ憶えてない)、少なくとも映画を観て私がハロルドの突発的な行動にイライラし続けずに済んだのは、ペネロペ・ウィルトンの演技のおかげだと思う。もちろん、ジム・ブロードベントの演技の説得力も大いに関与しているだろうけど。

 

追伸/それにしても、バースのティールームは素敵でしたな!