『息子と恋人』 | First Chance to See...

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 今年2月にちくま文庫から出た『息子と恋人』の新訳、表紙のターナーにつられて読んでみた。

『息子と恋人』

 D・H・ロレンスはたいして好きじゃないが、フォード・マドックス・フォードが見出した作家という意味では関心がある、というのは、前に別のブログ記事 で書いた。あの時も、純粋にロレンスの小説に興味を持ったからじゃなくて、私の贔屓のイギリス人俳優ロジャー・アラムが朗読するという情報を聞き付けたからだったっけ。

 前回の「菊の香り」は短編、今回は文庫本1冊とは言え、約700ページの大長編である。「恋多きシングルマザーの一代記」かと思いかねないタイトルだが、実の息子たちと、現れては去っていく恋人たちの間で揺れる女性の話ではない。訳者あとがきによると原題Sons and Loversをどう解釈するか、学者たちの間でも意見は分かれているらしいが、もっとも一般的であり、かつ私も同意する解釈は、「息子にして恋人」、つまり自分の息子をまるで恋人のように愛する母の物語である。

 ただし。

 約700ページもの長編小説のうち、主に母親の目線で語られるのは前半部分だけであって、後半はこの小説の真の主人公である次男ポールの目線で語られる。だから、「母にして恋人」なんですな。でも、「母にして恋人」と思っていても、さすがに母と息子の間にセックスだけは持ち込めない。で、ポールは、お固くて真面目な近所の田舎娘ミリエル(ある意味理想の結婚相手だが性的満足は得られない)と、年上の人妻クララ(結婚は不可能だが性的満足は間違いなく得られる)との間で揺れ動く。それでも、母親がポールの心を占める割合が大きすぎ、二人の女性と肉体関係を持ちながらも、「出世してお金を得たら都会に家を買って母と暮らす」とか何とか言い出す始末。

 いろいろ頭が痛い。

 が、母でもないし息子でもない独身女性の私にとって全く理解不能だったかというと、意外とそうでもなかった。むしろ、男子の母となった友人知人たちから、「夫なんかどうでもいい、でも息子のためなら何でもしてあげる(娘はせいぜいその補佐)」みたいな、ぶっちゃけた本音を耳にすることがあまりに多いからだ(こんな本音は、独身とは言えいい歳になったからこそ聞ける)。おまけに、昨今、愛する息子の大学の入学式卒業式は言わずもがな、就職説明会にまで押し寄せる母親たちの姿を見れば、この小説で描かれる程度の母と息子の関係なんてごくありがちなものに思えてくるではないか。

 勿論、実際の小説には、イギリスの階級意識の問題とか地方都市の近代化の問題とか、いろいろ分析できそうなネタがあちこちに転がっている。とは思うけど、私はそこまでロレンスに愛着はないので、後は他の人におまかせ。

追伸/ラストで息子と娘が母親を看取るシーン、ああいうことをするのって違法だよねえ? 自宅介護をしていてああいう心理に陥るのは理解できるけど、実際にああいうことまでやる息子は本当にヘタレだと思う。