【最高の人生】
って、どんなんだろう。
色々イメージしてみるのもいい。
色々やってみるのもいい。
宝くじに当たってみるのもいいし、
事業を成功させてみてもいい。
世界中に友達を作って有名になってもいいし、
理想の結婚をしてみてもいい。
そして、
どんな場所にだって
そこまで行かなければ
わからないことというのはある。
だから、
誰かの道を追いかけてみたり
前人未到の何かを目指して、
その「わからない何か」を
追い求めてみるのも
いいかもしれない。
だが、
それを知る事は
最高の人生とは
全く関係ない。
これは、
知っておいていい事だ。
頭で考える「理想」というのは
必ず実現できる。
だが、
どんな理想の状態になったとしても、
愚痴や不満を言う奴は言う。
現代日本は、
戦争直後の時代が目指した理想を
すでに大きく超えているのだ。
たが、問題は山積みだと
多くの人は思っているだろう。
そして、
どんな悲劇的な状態に居たとしても、
それはそれでのんきに楽しくやっていた人は
実は沢山いる。
大切なのは、
「何になるか」ではないのだ。
人生とは、
つまるところ、
祖先から子孫にかけての
連続性の一瞬だ。
その間に託されたのは何で、
その間に守るべきは何で、
その後に託していくのは何なのか。
それを知り得ずして、
最高の人生など語れるはずもない。
誰しもが
両の手に持てる以上のものは
持つことが出来ない。
そして何かをするのならば、
持ち物は手放さなければならない。
現代は様々、人間だけの約束事があるから、
たくさんのものを持っている気にはなっているが、
だとしても手は2つしかない。
この本質は変わらない。
これを知り得ずして、
最高の人生など語れるはずもない。
牛乳を飲んだことがあるだろう。
あの成分は水と油とタンパク質だ。
全く同じ成分を別々に摂れば事足りるのに、
それをわざわざ牛の乳を絞りとって飲むのは
なぜなのだろうか。
にんじん一つにしても、
含まれる成分の全ては、
土にある成分と光と水で出来ている。
これも別々に作り出すことはできるのに、
わざわざ、にんじんの命を介して
摂るのはなぜなのだろうか。
野菜はもちろん、
肉も魚も同じことだ。
食事が栄養を摂る事ならば、
栄養素をまとめて摂取することの方に
体は喜ぶはずだろう。
なのに、
わざわざ他の命を介するほうが
喜びが多いのは
なぜなのだろうか。
人生とは、自分の「命」のあるうちの事だ。
ではその命とは、何なのだろうか。
これを知り得ずして、
最高の人生など語れるはずもない。
わかるだろうか。
何かを目指して進み
そこでしか知り得ない何かというのは、
これらのヒントにはなる。
だが、その答えは
いつも傍らで様々な物事が
教えてくれているのだ。
さあ、
考えてみるといい。
最高の人生を。
どこまでも想像してみるといい。
最高の人生を。
そして、歩んでみるといい。
自分が思い描く最高の人生を。
誰も答えは教えてくれない。
それは自分しか知り得ないのだから。
また、その分失敗のしようが無いのだ。
なぜなら、
迷いに迷っているつもりだとしても
すでに歩んでいるその道が、
真っ直ぐにそこに向かっているのだから。