【正しさの裏側】

 

かたや、北海道の端っこに飛び出た
北海道の岩盤だ。

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、海、屋外、自然、水まだ噴煙を上げる火山の麓で
ここに続く物が北海道を支えている。

 

この近所には、
数十軒の家もあり、
普通に人が生活をしている。

 

そこら中にゴロゴロしている
巨大な火山岩のおかげで
海藻類は豊富に取れるのだろう。


至るところで昆布を干していた。


水温も高めなのか、
貝や魚もよく取れるのだろう。
とても小規模だが、
寂れた港町よりも遥かに
人々に活気があるように見えた。

噴煙を背に子どもが笑顔で走っていた。

 

 

 

かたや、北海道の中心で、
一番高いところにある湖だ。

画像に含まれている可能性があるもの:空、山、屋外、自然

かつて、
この地域で冬が明けぬ年があったそうだ。


植物は生えず、動物たちは居なくなり
食べ物が尽きる。


とうとう人々が死を間近にした時だけ
命を頂きに来たのがこの湖だ。

 

今は、その命の備蓄は無くなり、
氷の上をスノーモービルで走り、
温泉と景色を気軽に楽しむ場所になった。

ほんの数十年前から。

 

 

安全ならば良いのであれば、
危険ならば悪いのか。


どれだけ幸せであったとしてもか。

 

人々が訪れ、
経済が回るのが良いのであれば、
神々が座すのは悪いのか。
それがどれだけ人にとって
大事な事であったとしてもか。

 

 

良いとか悪いとか
正解とか間違いとか
そんな事を言うようになったのは
日本ではどうやら明治の頃からのようだ。

 


過去に遡るほど、そんな表現は無くなる。

 


2600年続いているこの国からすれば
そんなに昔じゃない。

 

全国民を教育するにあたって、
細かい説明や指導ができる教員が足りなくなった。


だからこそ、○か✕が付くようにし、
○の回答を丸暗記させる方法をとった。

 

つまりは、雑になったのだ。


そして、雑な教育を受けた人間しか
今生き残っていないから
平均的に物事の理解が雑なのだ。

 

 

なら、
そもそもあったのは何だろう。

 

それはただ、
困った時に生き残れるか。
それだけだ。

 

 

2600年より前から残る話には、
人は何によって困るのか。
何によって不慮に死んだのか。
それをいかにして回避するか。
こんな話がてんこ盛りだ。

 

現代人が困る事の殆どを
古代の人は知り、ちゃんと回避していた。
だから天変地異にも生き残り、
現代の我々がいるのだ。

 

 

古代の人が知らなかったのは、
○と✗に囚われて
自分達の正義を当てはめ作った世界で
その正義そのものに首を絞められる苦しさだ。

 

それは知るはずもない。


人類史上、
これほどまで安全な環境で
これほどまで雑な教育を
これほどまで徹底して受けたのは
今いる我々だけなのだから。

 

 

さて。
こんな僕らを見て、
祖先はどう思うだろうか。

 

腹を抱えて笑うだろうか。
それとも、同じように苦しみ
悲しむのだろうか。

 

孫を思う祖母祖父を考えれば、
大体想像はつくが

どちらにしても、ろくなものではない。

 

 

今日この湖畔を歩いていると、
食われた鹿が横たわっていた。

 

といっても、
頭と背骨と右足の先だけ残って
あとは綺麗に食べられていた。


これほどまで綺麗に食えるのかと、
感動を覚えるほど綺麗に食べられていた。

 

近くに熊の足あとがあったから
多分熊に食われたあと、
鳥や他の動物が残りを食べたのだろう。

 

鹿などは一頭でも、
山一つ分の動物たちの数日分の命になる。


たとえ野垂れ死んでも、誰かが食べて
命を繋いでくれるのだ。

 

命をもらい生きるも。
命を与え死ぬも。

ただ呼吸するぐらい
当たり前の日常なのだ。

 

さて。
ここには
正しさがあるだろうか。
間違いがあるだろうか。

 

 

本来の命の在り方があり
本来の人のあり方があるからこそ
これからの人の生き方を見出すことが出来る。

 

 

それは、少なくとも
何かの正しさに当てはめた時点で
既に間違っていることだけは
確かなのだ。

 

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