いや最近は盗作問題とか巷で話題になっていて、

自分もいつの間にというか、自分でも気付かないうちに人のネタを盗用してしまうんではないかと

ヒヤヒヤします(笑)


そんなヤツが「てつがく」やるってことで、

「自分が読んだ事がある本くらいは紹介しておこう!」のシリーズ1回目です。


プラトン, 久保 勉
ソクラテスの弁明・クリトン

まず、最近の文庫本の活字に見慣れていると、文字の小ささにはちょっとびっくりです。

「ソクラテスの弁明」は、一言でいうと、

「『若者たちを煽動した』として訴えられたソクラテスが裁判の席で行った演説」

です。


もう1篇「クリトン」は、死刑が決まった後、投獄されているソクラテスのもとに、クリトンという友達が

やってきて脱獄・国外(市外?)逃亡を勧めるが、ソクラテスはそれを断る、というお話です。


…自分で書いておきながらなんですが、あらすじにするとなんてつまらないんだろう…。


でも実際に読んでみると、面白いと思いました。

ノンフィクションの小説のように捉えても良いですね。


で、自分の素朴な感想。

ソクラテス自身は文章を書き遺した事は無いのに

「伝説の人」でいられるのはひとえにプラトンのおかげ。

自分にも、プラトンのような弟子がいたらどんなにいいだろう!


…いや、その、自分ホント筆不精だから…。


もう一つ、てつがく的?な感想

この本の中に出てくる有名な言葉として、

「自分は無知である事を知っている(無知の知)」がありますが、

なんかここが胡散臭い。


「知らない事など無いといわんばかりに知ったかぶりする人がいるけど、

オレなんか『まだ知らない事がある!』って事知ってんだよね。

オレのほうが大切な事を知ってる!」


って、ちょっと知ったかぶりする、てところが……??? 


…って、(本文中にたまに読めない漢字があるような)自分が偉そうに書いてしまうところがまた…????


…あっ、「感想」だからいいか。無限ループするところだった(笑)

それでも、命を賭してでも自分の主張を曲げなかったソクラテスは、すごい、と思います。

尊敬・同調、というと微妙なんだけど、他人の意見として、「尊重」はできると思います。


自分も、イザという時には自分の命を投げ出す覚悟はすでに出来ております!


が、


「イザという時」が来ない事を願っています(笑)


ライブドアの事件から、今度は村上ファンドの村上世彰氏がインサイダー取引疑惑で事情聴取ですか。
まあこんな時事ネタ絡めつつ…。


カネで人の心は買えるか?


買えます。


どんなモノでも(モノでなくても)
まず、売る人がいて、その売値で買う人がいれば
売買契約は成立します。


「どれだけお金を積まれても売らない。」
という決定権は常に売り手(そのモノの持ち主)にあります。 ※


※ 「自分が持っていても価値を見出せないが、対価を払ってくれる人がいる」
  モノに対しても、当てはまります。


全ての持ち主が、「売らない」事を約束し、それを実行できれば
「そのモノ」を買うことは出来ません。


しかし、そこで自分だけが「そのモノ」を売ることが出来るとすれば、
希少価値により、高い売値が成立します。


でも、自分は「約束を破る人間」と呼ばれます。
いや、もしかしたら持ち主たちの間で、


「『そのモノ』を売らない」という約束を止めよう!


…という事になるかもしれません。
そうなると、「そのモノ」の希少価値は薄れて、売値は下がります。


そんな当たり前の市場原理が、「人の心」についても言える、
ただそれだけの事ですね。

「人生はギャンブルだ」でググったら思ったよりたくさんHITしてびっくり。
たしか「Mr.BOO! ギャンブル大将」のラストのセリフだったと思うんだけど、
自分はこれが印象に残っています。


その「Mr.BOO」も検索したところ、ウィキペディアとかで
広川太一郎の吹き替えが絶賛されてるような記事まで載っててびっくり&納得。
自分も見たのはテレビだったし。


まあそれはともかく、

人生はギャンブルだ

は、全ての人に当てはまる喩えだと思います。


賭けの局面には
「一点に」「分散させて」「所持金全て」「所持金の一部」
などいろいろありますが、
「降りる(賭けない)」
というのもある事を忘れてはいけません。
そう。「ギャンブルはしない」はギャンブルの一局面とも考えられるのです。


…ていうか、
みんな、「ギャンブル」って言葉、
「ハイリスクハイリターン」っていう意味で使ってない…?

また、「死」をテーマにします。


始める前に念のため
自分は死にたいと思っているわけではありません。
まぁそんな事、誰も思ってないかもしれませんが、
万が一、自殺とも取れるような不慮の事故などがあると、
誰かがどこからかこのブログを探し出してきて、
「この記述の中に手がかりが隠されている!」とか
いいかげんな事言うんじゃないかと。
そういうのと、関係ありませんからね!


…まあ、先読んでもらえばいいか。
次の一文を見てください。


「私は死んでいる。」

この文、単独では事実である事がありません。
前の記事でも書いた通り、死んでいる人はこの文を記述したり、言ったりすることはありえないのです。


これを言う場合、次のどれかに当てはまります。


1.事実と異なる事(嘘、偽)を言葉にした。
2.「死んでいる」の誤用
3.「私」の誤用
4.他の文章と組み合わせて使用


1には、「死んでいる」「私」を誤用したものでないものを分類します。
「私は死んでいない」のに、そう言っている、などを例に挙げる事が出来ます。


2には、「疲れている」「元気が無い」という意味で使用する場合などが当てはまると思います。
(所詮、誤用なのでその気になれば何でも当てはまります。無意味になるかもしれませんが)


3も同様に、誤用なので何でも良いです。
というか限りなく無意味では?


4はどうでしょうか

「100年後、私は死んでいる。」

こんな使い方であれば、可能です。推測だからでしょうか? 
では、

「100年後、私は死んでいるはずだ。」

未来の話は大丈夫のようです。では次の文は?


「今、私は死んでいるはずだ。」

思い違いです。ではもう一つ。


「昨日、私は死んでいるはずだ。」

うんうん死んでないのね。死んでないからそんなこと言えるのね。


…ううんなんかだんだんしりめつれつになってきたぞ。
でも所詮、論文じゃないって事でやってるんだから。ま、いいか
まとまらないけど今日はここまで!

いややっぱりどうも「哲学」って最初から隠しテーマだったんですけど
かくしたままだとどうも奥歯に物の挟まったようなことになってしまうんで
はじめちゃいます。

といっても、そこまでの知識も無いし、論文書くわけではない、所詮ブログだ、
というのをいい事に、他の哲学者はこう言った、とか無視して書きます。

最初の話題は、「死後の世界」です。

って、「最初から宗教とごっちゃになってるじゃん」とか言わないで先読んでね。


「死後の世界」について一つ確かなことを挙げると、

「この世の中に出回っている『死後の世界』についての話(文章、言い伝え)などは、
全て生きている人から発せられたものである」

ということです。


「死の淵から生還した人」は、その時点で「生きている人」なので
その人の体験談も上記に当てはまります。


自分自身の考えでは、死後の世界は、無い、と仮定しています。
でも、その考え方を突き詰めると、「死後の世界はある!」と考えている人と
大して違わない考えを持っているようにも思えます。


人が死んだ時、お葬式をしたり、墓参りをするのは、
生きている人が、生きている人自身のために行うことだと考えます。
そこで何をするか、
「死んだ人の事を考える、思う、偲ぶ」
ということをしますよね。


そこで「思う」事をする時、それをした人の心の中にあるのが
「死後の世界」(われわれの考えうる範囲)だとすると


本当のところ、「死後の世界は無い」かもしれないが、

「死後の世界はある」と考えることも間違いとはいえない。


と思います。




いやいやさっき一瞬すごい雷雨だったけどもう雨あがった。
まあホントごく近い天気予報ははずれが少なくなったね。


…実は、雨が降ってない日はよく外に楽器を練習しに行くので、
天気予報マニア(ヘビーユーザー?)なのだ。


雨が上がる予報で、あがったら練習しに行きたいなぁ、と思っている時なんか
お天気チャンネルに釘付けです。
といってもそんな時は室内用の楽器(ウクレレ)弾いてたりしてます。


でも週間予報とかはまだまだ難しいらしい。
それなのに予定がある日の天気とかを先に覚えてて、
慢心していたり、がっかりしっぱなしだったり、なんてこともよくある。


ところで、天気予報といえば気になるのが、
一時あめ とか のちあめ のときに、
「お出かけの際は、折りたたみ傘を持って」って…。


かさの種類まで指定するとは余計なお世話じゃ!


(前の記事の続き)というわけで、アナログ放送終了時こそ「ワンセグ」が

全盛になるのでは?と思います。


「高画質・高音質」はイザというときを除いて不要なんじゃないかな?


まあどちらにしてもまだまだ先です。

2011年アナログ放送終了だそうだ。

で、その事の周知度が3人に1人だそうだ。

で、総務省や関係業界は更に周知を進めるんだそうだ。


…このニュースってこれ自体「周知活動」なわけね。


よく読むと、このままデジタルテレビの普及が進まないと、延期もあるってこと?


…じゃあ、買わないでおいてみようかな?


今はみんなテレビのある生活に慣れているけど、本当に停波でテレビ見れない人が増えたら、

かなりの人がテレビ見るのやめたり、ネットのストリーミングとかに移行したり、すると思う。


だって、別にテレビ無くてもいけるし…。

前の記事書いて観察したけど、親バカな話題ではアクセス数増えませんでした。しかし、


井上和香、蛯原友里、仲間由紀恵


と、名前を出した日はちゃんとアクセスが増えるんだよなぁ。

…肝に銘じておきます。

自分には1歳の娘がいます。
この子は「客観的にみて」とても可愛く思えておりました。
生まれたばかりの赤ちゃんはサルみたいな顔をしている、
と世間では言うこともありますが、
その時期も「ちゃんと人間の顔をしてる!」と、思っていました。


そして、
「この感覚って、親バカなのかな?
いや、自分の子でもまあまあ可愛いな、
と思える子もいれば
そうでないと思える子(笑。失礼!)もいるぞ。
もしも可愛くなかったとしたら、その判断はちゃんと出来るはずだ!
この子が可愛いと思えるのは、本当に可愛いからだ!」
そう思っていました。


しかし…。
ここ一年の彼女の写真を見てみると、
確かに、我が子として可愛いのですが、
現在の見慣れた顔からすると、当時の顔はサルみたいでした。


そして、こう思いました。
「やはり、親バカ入ってたんだ…。」