もうずいぶん前の話ですが、

電車の中で騒いだり靴のまま座席に乗っかろうとしたりしている子供と、

それに対して、口では一応注意しているんだけど強く言えないお母さん

に、遭遇した事があります。


お母さんは

「おとなしくしなさい。他の人に迷惑でしょ。」

などと言っても、子供は言う事を聞かず、少し困った様子でした。


自分はその時、「まあ子供だからしょうがないなあ。」という程度で、

迷惑に感じたりはしていませんでした。


でも、ふと思ったのです。


――

その子供に向かって「うるさいぞ!」って言ったら

きっと効果テキメン。

お母さんは、これまで通りの優しくて甘いキャラでいられる。

躾にもなる。

自分はもう二度とその親子に会う事も無いので平気。


そのお母さんに「どうもすいません…」とか言われたら、

「いや、いいんですよ。『優しいお母さん』、お続けください。」

ってサイン送ったりして…。


――


なんて考えた(妄想?)のですが、言えませんでした。

(そんな人には見えなかったけど…)そのお母さんに逆ギレされたりとかしたら嫌だし、

とか、悪いほうの可能性もあるなぁって思ってしまって…。


自分は親バカではあるものの、子供に対して言うべき事もいえない、なんてことはない

(今のところは、ですが)ので、そもそもそんな事はないとは思いますが、

もし、自分がその時の親の立場だったら、ヨソの人に是非とも注意してもらいたい、と思うのです。


「他人」が黙っていると、「他人に迷惑」って

子供には体験できないような気がするのです。


こんな

「善意のカミナリ親父」

いかがなものでしょうか?

実を言うと、自分にとって、哲学の入り口はこの辺だったりするのです。
土屋 賢二
われ笑う、ゆえにわれあり
土屋 賢二
人間は笑う葦である

御茶ノ水女子大学の哲学教授による、ユーモア・エッセイです。

上の2冊は初期のもので、哲学論文風の作品が多いです。

このころの文体がお好きな方には次の本をお薦めします。

土屋 賢二
猫とロボットとモーツァルト―哲学論集

大学の紀要も含む、真面目な論文集です。



エッセイは徐々に文体が変わって、最近は「哲学教授エッセイ」のようになってきた感もあります。

なんとなく登場していた「妻」「助手」「H教授」などのキャラが定番化したともいえます。

初期のエッセイが好きな人は、

「だんだんマンネリ化してつまらなくなった」

と思うかもしれませんが、逆に

「初期のころより文章が洗練されてきた」

という意見も耳にします。

そんな最近のエッセイ。

土屋 賢二
棚から哲学
土屋 賢二
紅茶を注文する方法

このころの文体が好みの人は次の哲学入門書がお薦めです。

土屋 賢二
ツチヤ教授の哲学講義

前述の「猫ロボ」よりさらにやさしくかかれていると思います。

エッセイは他にもたくさん出ています。


ただ、これを読んで、自分は大いに賛同する点がありつつも、

「違う!」と思うところがあったりするんですよ。


日本VSクロアチアの試合後、ついついブラジルVSオーストラリアの試合も見てしまった。

やはりブラジルは強い…。まず、ちゃんと勝ってる。

ロナウドはまだほとんど歩いているだけで、マスコミには酷評されているけど、

結果的には決勝点をアシストしているし…。

その存在感、フランス大会のときのバティストゥータ(アルゼンチン)を思い出した。

実績のあるFWは、いるだけで怖い。

「発射予定」と報じられるだけで効果があるテポドンのようだ。

とっても当たり前な事だが、

サッカーは相手よりたくさん点を取るゲームなのだ。

スタミナが持つかどうか、スタミナ切れになってからいかに根性で走るか、

ということを競っているわけではない。

ということは、「ベストを尽くす」の「ベスト」という言葉も、

「より多く得点を挙げ、より失点を少なくする方策」

という意味のはず。なんだけど、

「最後まで走りつづける。」

みないな精神論、根性論の意味であるかのように誤解しがちだ。

ついでに、「フェイント」は「見せかけ」という意味だそうだ。

ボールをまたぎ越す、と言う意味ではない!

つまり、日本VSオーストラリア戦のように、「必ずパスを出す」も駄目だし、

クロアチア戦のように「必ずミドルシュート」でもない。

(言われた事を生真面目にこなしているように見えました)

何回か遠目からシュートした後、次もシュートと見せかけてドリブル突破、とか、

ドリブル突破を何度も仕掛けて、今度は直接狙う、とか。

こんな事こそ、オレなんかに言われたくないかもしれないけど…。

いや、言っとかなきゃだめだ。

中田英は「一人気を吐いてる」みたいな評価がされているが、

逆に他のメンバーが萎縮する原因を作っているようにも見える。

福西なんかは中田にビビってる。

以前、練習で福西が中田に意見している場面があって、対等にやりあったみたいな論調だったけど、

実際にはああいう事の後、

「オマエ偉そうに言ってるけど、やってないじゃないか!」

とか言われたり、または言われるおそれがあるだけでも影響が出る。

そんな「王様」中田がマルタとの親善試合の後、「走れてない」とか言ったら

そりゃもうみんな無駄に走るよ。スタミナ切れするほど…。

で、クロアチア戦後の中田のコメントは「緩急がつかない」だった。

ちなみに、

「緩急とは、ゆっくりしたペースでボールを回しながら相手のマークをずらしつつ、すき間があいたら、間髪を入れずに縦に速いパスを入れ、ワンツーなどのダイレクトなパス交換で抜け出すといった工夫である。」

だそうだ。→ソース


うわ、またこの言葉を真に受けて攻撃のたびに、「ゆっくり、ゆっくり、速く!」とか、

単調に繰り返すのではないだろうか…。


「幸せだ」
この短いセンテンスは以下のように言い換えられる。


「今、私が置かれている状況を、私は幸せだ、と思う」
「私は、今私が置かれている状況を幸せだ、と感じている」
「このような状況を「幸せだ」と呼ぶ(定義する)」


これらの文は、「幸せだ」を別の言葉で説明せよ、という問いに対する解とするのであれば
誤りかもしれない。しかし、だからといって
「幸せとは、広い家に住み、金に困ることもなく健康に暮らす状態のことである」
のように定義されても、そんなことにはこだわらない、その答えには承服できない、
などという人が少なからずいるだろう。

では、次の文はどうだろうか。

「幸せとは、『幸せとは、広い家に住み、金に困ることもなく健康に暮らす状態のことである』
と言う考えをもった人が実際に広い家に住み、金に困ることもなく健康に暮らしている時に感じること」


これは理屈の上では正しい。

本人が定義した「幸せ」を全て満たしているからである。
しかしこれが現実の事例であるとして、「故にこの人は幸せである」と言い切れるだろうか。
その広い家は日当たりが悪い、人里離れた場所にある、

など満足できない要因は限りなく挙げることが可能だし、
現実のものとなってみたら何かむなしいなど、はっきり挙げられない要因によることもある。

結局のところ、それは不定であるとしか思えない。


では、その人に「今、幸せですか?」と尋ねた場合はどうだろうか。
これも、相手が嘘を言う場合があるため、本人が本当にそう思っているかどうかは確定できないのである。


「幸せだ」とは「『私は幸せだ』と(私自身が)思う、感じること」そのものである。

それにしても

ジーコ指令!全員ミドル弾「カカになれ」

って何を今さら…。


オーストラリア戦はシュート少なすぎでしょう。

シュートとパス、どちらで来るか分からない、という心理から相手も脅威になるはず。

キーパーの正面とかでもいい。ファンブルの可能性だってある。

川口みたいに、「好セーブ連発!」が判断を狂わす原因になる事だってある。

「やけくそシュート」と「へなちょこラストパス」だったらどちらがいいかは歴然!


と、まあ他人事だから言えるんでしょうね。最後まで走れ!とかもそうだけど…。


サッカーW杯・日本VSオーストラリア戦、

日本は残念ながら負けてしまいました。


勝ちきれなかった…。同点ゴールが全てでしょう。

その時選手は動揺し、システムも崩壊。


―私は、FKを止めた川口の顔を見たとき、「自分がヒーロー」と思っていると感じました。

 そこから、「点取られるぞ!」と推論しました。


―次のクロアチア戦は日本が絶対勝つと主張します!


なんていっちゃあいけません。

それどころか、明日太陽が昇るかどうかも、知っているわけではないのです。

…なんて本。


ウィトゲンシュタイン, 野矢 茂樹
論理哲学論考

なんだか難しい本です。

この本の内容は、同じまたは似た事を考えた事がある人にだけ理解されるだろう、

と(本人の序文に)記されています。


意味深です。

「ああ、そうか!そんな事今まで考えた事無かった。」

という風にはならない?


その他、有名なところでは、

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」


とかでしょうか。日常のノーミソでよく読み返すと、当たり前すぎませんか。

だって語る事が出来ないものなんだから。


…そんなツッコミ入れながら読むのもいいのかも。

自分はどうしてこんなに、商売っ気が無いのだろう…。

このブログ、Amazonのアフィリエイトが簡単って事で登録してみたんだけど、

今まで記事に関連して貼り付けたのが自分が持っているとか、読んだ物ばかり。


だけど今回は、中身全然読んだ事ない本です。


デカルト, Ren´e Descartes, 谷川 多佳子
方法序説

有名な「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉は、この中で出てくるそうです。

ちなみに自分はこの言葉を高校の時フランス語の授業(選択科目にあったんです)

で初めて聞きました。「思う」の単語の使用例として。


その言葉はラテン語に訳され、一般的にはそっちのほうが有名。

(コギト・エルゴ・スム …… 最近深夜番組で、司会のガナルカナル・タカが言ってる)


正直、この言葉さえ知っていれば十分な気がしていて、読むのを躊躇しているんです。

それよりも、この本がデカルトの母国語であるフランス語で書かれた、ということが

大切な情報であるような気がしています。


まあ細かい話は、また今度。

自分が読んだ本、全部出揃ってからです。


最近凝り始めたウクレレ。

楽器は昔買って眠ってた安物で、子供のおもちゃのつもりで引っ張り出してきたものなんですが…。


先日、ふらっと立ち寄った楽器屋にこんな楽譜があったので、つい買ってしまいました。


大橋 英比個
ソロで弾くウクレレ・ジャズ・スタンダード

35曲も入っていて2000円+税です。

ジャズが載ってるのを探して、(その売り場にはそれほど選択肢がなかった)

適当に買ったつもりだったんだけど、大当たりでした.。


自分の実力だと、ほとんどの曲はTAB譜を追いかけてメチャメチャゆっくり

鳴らすぐらいしか出来ないんだけど、それでもいいアレンジがされてる事は

よくわかります。


で、今は「When You Wish Upon A Star」を練習中です。

理由は、ゆっくりでもそれなりに聴けるから…(笑)

でもずいぶん弾けるようになってきた.!


…最近、弦を押さえる指の先も硬くなってきたぞ!

少子化が進む事が、絶対にいけない事なのかどうかわからない。


でも、政府は年金の破綻とかを考慮し、今は穏便に宣伝活動しているのだ。

子供を作ろうかどうしようかと迷っている人たちは、その宣伝に乗せられて、

一人でも多くの子供が授かればいいと思う。


もし仮に、出産から子育ての費用まで、全て補助されるような法律が出来たらどうだろうか。

(夢のような話だけど…)そんなおいしい話があるなら子供が欲しい、という人は更に増えるだろう。

しかし、それでもなお、自分の子供なんていらない、という人もいるだろう。

所詮、自由なのだからしょうがないのである。

そこまではっきりとした意見でさえ、他人に矯正されなければならなくなったとしたら、恐ろしい。


ただ、「少子化」がニュースになる時、その宣伝報道に対して文句を言う人が思いのほか多いのは

とても、気になる。

「社会全体として、少子化が進むこと」を願っているのだろうか?何のために?

「子供を作らない」という意見が少数派になることを恐れているのだろうか?


そういうことを言う人は

「お上の言うことは鵜呑みにしないぞ!」なんて息巻いたつもりが、

独身やDINKSをターゲットにしている人たちのコマーシャルに、

まんまと嵌まっているのではないだろうか。


「少子化『容認論』」をわざわざ主張する事には反対です。


それにしても、前の記事はまた読み返すと恥ずかしいな。

小学生なんかが、宿題のために読まずに書いた感想文みたいだ。

いや小学生の感想文のほうがもっと体裁は整ってるよ。


というわけで今日は一応哲学的に影響を受けたかもしれないな、という小説・エッセイの紹介。

保坂 和志
季節の記憶
保坂 和志
草の上の朝食

内容を一言で説明すると、「ちょっとのんびりした、普通の人がいる。」

この程度です。これこそ、説明をいれちゃいけない。

単に

「世界がある。」

こんなふうに言い換えてもいいかも。

そうすれば哲学と関係ある雰囲気です。

また、ほかにこんな本も出してます。

保坂 和志
世界を肯定する哲学

これは論文と呼ぶには明らかにまとまりがなく(エッセイなんですが)

その形態が長所となっています。


とにかく、説明しようとすると、実際に読むよりも陳腐な事しか言えないので、

興味があったら読んでください。


僕はこういう文体、好きです。