仕事の行き帰りにちびちび読んでいたのだが、レポートも読み終わったので残りをまとめて読んだ。

黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 (早川書房)/早川書房


15年前にイギリス人女性が日本で殺された事件の捜査と裁判をめぐるノンフィクション。
少し冗長なところはあるものの、犯罪が被害者や関係者の世界をいかに改変してしまうかを細かく描いている。

しかし、当初東京近郊のみが舞台となっていたのが、途中いきなり大阪が重要な舞台として浮上してきたのには驚いた。
ただ、大阪という街の地域性がうまく描かれているかと言えばそこまではいたっていないような。

この本で描かれている日本は東京とその近郊で、地方在住の人からすると外国の話のように読めてしまうかもしれませんね。
なんだかんだあったので、提出から2週間後の今日ようやく採点し終わった。

今年は中間レポートでひどいのがあまりなかったのだが、逆にそれで安心したのか、期末レポートで点を伸ばせなかった人が多かった印象。

というか、添削に基づいて修正した中間レポートプラス新たに自分で考察した内容でワンセットのレポートなのに、中間レポート部分を省略したのがけっこうあったのはどういうことなのか?
この課題を読んだらそんなことにはならないはずだが。
来年、先輩の恥ずかしいミスとして紹介することにしよう。

課題と言えば、指示しておいたレポート全体の字数を記入し忘れて減点となった人が20人くらいいたのも今までなかったこと。ドジっ娘・ドジっ男が多い学年なのかしらん。
卒業論文・卒業制作が心配だなあ。

では、単位が取れた人も、ごく少数の単位を落とした人も、12月まで気張りなはれや。

ドジっ子小百合/岩井 小百合
『ドジっ子小百合』

(30年以上前に「ドジっ子」って言葉あったんだ!)
「乱歩綺譚」の6話、今までで一番面白かった。というか楽しかった。
最初からこんな感じで良かったんじゃないか、と思ったりもするが、ここまでのキャラクター描写の積み重ねがあってのコメディ回(というよりセルフ二次創作回)なのでそうもいかないのでしょう。

江戸川乱歩とか坂口安吾とかの「原案」を換骨奪胎して全く別物の物語を作るというのは、時に原作ファンに大きな違和感を与えてしまうもので、いっそ「原案」というキャプションすら外して、あ、これ「安吾捕物帖」のパロディじゃね? と視聴者の方から指摘してもらうというやり方もあるのですが、それでは話題作りという点で不十分なんですよね。

UN-GO 第3巻Blu-ray/東宝


有名な作家の名前とか、過去の人気シリーズの名前とかが無いと、なかなかマスメディアは取り上げてくれない。「古代戦士クウガ」や「王戦十二騎士ドラゴンナイト」みたいな新番組では扱いが全然違う。

超星神 グランセイザー


あと、企画を通しやすいってこともあるんでしょうね。スポンサーにも説明しやすいとか。

小説・マンガ・アニメなどが実写の映画やドラマになる時にも原作ファンからの批判とか大きかったりするわけですが、おそらくあれは的外れ。
映画やドラマの制作者はスターやアイドルの出る映画やドラマを見たい人をターゲットにしているので、そもそも原作ファンは相手にされていない(もちろんその二つを兼ね備えている人もいいるのでしょうが)。
小説やマンガを出している出版社や、アニメに引き続いてドラマ・映画の円盤を売ろうとしている会社にしても、これまで届かなかった層に届いてほしいと思っているはずで、過去のお客さんを相手にする必要は無い。
出版物が売れなくなっている状況ではやむを得ない状況なのでしょう。

というか、これも出版社や映像ソフト販売会社がまだ存在している間に限った過渡的な話なのかもね。

重版出来! 5 (ビッグコミックス)/小学館
昨日書いてから思いついたけれども、もしかしたら意味などないかもしれないのになぜ個人が表現をしようとするのか、という問いについての答えとしては「山の上の交響楽」に近いかもしれないっすね。
あちらは生きることそのものについての隠喩になっていたわけですが。

山の上の交響楽/アドレナライズ


ハヤカワ文庫はずいぶん前に絶版になっていたのだけれども、今はアドレナライズとかいう電書専門出版社から出てるんですなあ。
王とサーカス/東京創元社


2年半ぶりの長編新刊。

脳内では「女帝」のビジュアルと声で再生させてましたよ。

氷菓 限定版 第6巻 [Blu-ray]/中村悠一,佐藤聡美,阪口大助


氷菓 -4 (カドカワコミックス・エース)/タスクオーナ


氷菓 (5) (カドカワコミックス・エース)/タスクオーナ


プロット自体はわりとわかりやすいものの、細かいヒントの出し方はとてもらしいな、と思いました。
あと、濡れたものを乾かす話が出てくるのが〈古典部〉シリーズのある話を思い出しました。生活感あるねえ。
Pubooで公開しているゼミで作成した電子書籍の中に一昨年度の(つまり2014年3月卒業)卒業論文集が含まれていなかったので、いまさらながら公開した

ある講習でアマチュアとプロの垣根無しに使える電子書籍サイトを紹介したのだが、ほら、私もゼミの学生に作らせた電子書籍をこのように公開しているんですよ、と見せた際、まだPubooでは公開していないことに気づいたのだった。

で、読者数ゼロではなんなので、こちらで紹介したわけです。

見てください!

機動戦士Vガンダム Blu-ray Box I/阪口大助,黒田由美,白石文子
ある映画を見に行く前に公式サイトであらすじを見たら、ある登場人物が早い段階で死ぬと書かれていた。しかし、その人物は映画にいたるまでのシリーズの中では主人公と異なって酸いも甘いも噛み分けている強かな人物として描かれていて、正直あいつがそんなに簡単に死ぬ分けないだろ! と思っていた。いや、けっこう多くの人がそう思ってたのでないかな?

なので、死んだことにして実は生きていると思わせといて本当に死んでいた、という二段階のフェイクかと思ってたら、普通に実は生きていた展開だった。いや、その「生」のあり方自体が重要だったんですけどね。

映画の場合、ナレーションを使わない限り登場人物の台詞や死体を映す(日本の映画だと火葬場の煙や骨箱で代用したりする)ことで人物の死を表すわけだが、これが三人称の小説だと地の文が決定的に死を確定する役割を果たす。

逆に一人称の語り手や、登場人物の発した言葉によって死が伝えられても、それは決定的ではない。嘘をついていたり、死んだと誤解していたり誰かに騙されている場合もありうるからである。
その不確定な隙間が、読者が読み(妄想)を広げていく可能性、読書のにつながっている(もちろんこれは自由の一例に過ぎない)。

ちなみに読者が自由に読む、といっても三人称のかっちりしたリアリズム小説の地の文で、登場人物が死んだ、と書かれていたら、実は生きている、という読みは成り立たないと考えていますが、しかし「かっちりしたリアリズム」ってのも曖昧ですよね。

そういえば以前、小説の中で死んだと書いてあるのに死んでないという読みをするのは無理筋だ、という例として夏目漱石「こころ」を出そうとして、あれ、先生が死んだって明確に書いてあったっけ、と思ってとどまったことがある。

「遺書」と言ったって、すぐに書いた人が死ぬとは限らないし、死ぬつもりで書いたけれども生き延びたということもままありますからね。


ドラゴンクエスト-ダイの大冒険- 全22巻 完結コミックセット(文庫版)(集英社文庫)/集英社
20年の月日は様々なものを変える。

http://kokaku-a.jp/sp/index.html

結局1本だけ。やはり前半に比べてペースが落ちてる。他にも見たいのあったんだけどねえ。

この一本に絡んで考えたことがあるんだけれども、それはまた次の機会に。
「ラブライブ!」はゲーム原作のアニメとしてメイン・キャラクター9人全員を魅力的に描く必要があり、日常シーンでも歌唱シーンの見せ場でもそれぞれが均等に描かれている(おれの~のシーンが2秒少ない! とか怒る熱狂的ファンがいるのかもしれないが、それは知らん)。

その一方でストーリーを進める上でエンジンとなるキャラクターがあった方が都合が良く、実際にグループを作りメンバーを集めリーダーに選ばれるキャラクターが一人いるわけである(公式サイトを見たらほんとに「エンジン」と書いてあった。ストーリー上のってことでは意味は違うけどね)。

全員が同じくらい魅力的であることと、一人を主人公がであること。これは矛盾する二つを同時に実現することを目指すことになる。テレビシリーズではそれがうまくいっているとは言いがたかったようで、楽しく見ながらもずっと違和感を感じていた。
他のメンバーから繰り返し主人公が特別でありその存在がグループにとって重要であることが語られ、それが身びいきではないことが最大のライバル・グループのリーダーからの評価としても語られているのだが、それが辻褄合わせのための説明に感じられてしまっていたのだった。

しかし、その違和感は劇場版を見て解消されたので、実はもういいのです。本当に見事に主人公してましたよ。彼女はおそらくこれもずっと歌い続けるという未来を予感させたし。
「As Time Goes By」はベタ過ぎたけどね。

TWO-MIX パーフェクト・ベスト/TWO-MIX
現在、アイドルもの等のアニメで歌唱・ダンスのシーンを描く時に3つの選択肢がある。

・キャラクターを手描きで動かすもの。アイマスやWUGなど。
・キャラクターを3DCGで動かすもの。アイカツ!やプリパラなど。
・キャラクターをアップやバストショットは手描きでロングは3DCGでと分けて動かすもの。ラブライブ!やうたプリなど。

手描きだとアニメーターさんの技術にキャラクターの動きの良さが左右されるが、超絶原画でものすごい場面になったりもする。
3DCGだと動きのばらつきは無いが逆に揃いすぎていて人形が踊っているような印象を受けてしまう。
(プリキュア・シリーズのエンディングも含めてキッズ・アニメでこの方法が使われているのは、まだ手描きのアニメを見慣れていない年齢の視聴者が本来の対象だからなのでしょう)
二つを組み合わせるとそれぞれのいい所を活かせるが切り替えの際に絵のギャップから違和感を感じることがある。

それぞれの欠点については、制作のさばきで条件が揃ったり、技術や経験が上がって今後克服できることかもしれないので注目しています(特に二つ目と3つ目)。

ギャップと言えば「ラブライブ!」について別の種類のそれを感じていたのだけれども、それはまた次の機会に。